聖者への歩み

内なる可能性と至高への目覚め


★成就の軌跡とその後★

「大聖者マハーモッガラーナを目指して」



ボーディサットヴァ・カッピナ師長




修行の途上には、多くの苦しみや艱難が待ち受けています。 しかし、そのような中にあっても、 グルを偉大なる導き手として仰ぎ、 努力し続けるなら、いつの日か必ず心の本性に到達し、 迷妄の世界から出離することができるのです。 オウム真理教には、幾多の試練を乗り越え、 クンダリニー・ヨーガの成就を果たした聖者がたくさんいます。これは、わたしたちの前に光の道が開かれていることの証でもあります。 そして、その聖者は明日のあなたの姿でもあるのです。



★ボーディサットヴァ・カッピナ師長−−プロフィール
1990年8月8日、クンダリニー・ヨーガを成就。子供のころから精神世界に関心を持ち、書籍を通してオウム真理教と出合う。出家後、オウム真理教附属医院で医師として頑張るかたわら、修行も不放逸に行ない、わずか三カ月でクンダリニー・ヨーガの成就を果たす。1995年5月に逮捕・勾留されるが、その間にも順調に修行を進め、頻繁にサマディの経験を行なうようになった。現在、大阪支部で活躍されている。

 今年三月の初めに、一人の師の方が大阪支部に配属になった。きりっとした目元、長身でがっしりとした体格、腕立て伏せ連続二百回を軽くこなすというスポーツマンタイプ。説かれる法則は、簡潔明瞭。少しぶっきらばうにも感じるが、天真爛漫な明るさと素朴さが交錯する、特異なお人柄である。見るからに大行者の風格をお持ちの師−−この方こそカッピナ師である。
 カッピナ師の修行に対する集中力には定評がある。時間があれば、ウインド・トレーニングやプラーナーヤーマ、ムドラーに余念がない。この姿勢は、尊師もお認めになったところである。師には、次のようなエピソードがあるくらいだ。

カッピナ師(以下「K師」) 「九一年の二月か三月ごろだったと思います。当時、わたしは人知れず密かにヴァヤヴィヤを毎日二時間やっていました。そのころに、『尊師と集う会』というのが開かれたんです。その会では、支部活動で活躍された師の人たちの表彰みたいなものがありまして、それがひと通り終わったところでした。そうすると、いきなり尊師が『んっ!?』と目をつぶられて、何をおっしゃるのかと思ったら、『ちょっと待て。この中でものすごく修行しているやつがいるぞ』と言われたんです。『ひょっとしたらわたしのことかな?』と一瞬思いました。そうしたら、すかさず『カッピナ、お前だ!』とおっしゃったんです。……わたしが密かに修行していたことも、すべて見抜いておられたんです」

 今回の「聖者への歩み」は、カッピナ師の成就までの足取りと、その後をご紹介することにしよう。


◆超常現象が好きな“悪ガキ”だった

 「小さいときから、全くの放ったらかしで育ってきました。幼稚園から小学校にかけて、よく遊んで、よく食べて、よく寝る子でしたね。 遊びの天才と言ってもいいでしょうか。一人でも大勢でもよく遊んでいました。何でも自分で決めて自分で行なうという、早くから自立心が芽生えた子でした」−−
    (カッピナマーター師補)

 カッピナ師の母であるカッピナマーター師補の話によると、師の天真爛漫な性格は、子供のころから引き継がれているもののようである。 もう十分というほど遊び尽くした子供時代−−。一方、心の片隅には、精神世界へと旅立つ萌芽も見られた。
 カッピナ師ご本人に、そのころのことをインタビューしてみた。

−−ご幼少のころは、どんな性格でしたか。
K師 「小学校のころは、“悪ガキ”という感じでしたね。友だちが持ってきた機関車のプラモデルを学校で組み立てたりしていました。それも授業中に……。中学に入ると、さすがにそういうのは治まりましたけど」

−−医者になろうと思ったのは、どうしてですか。

K師 「小学校五年生のとき、手塚治虫の『ブラックジャック』という漫画を読んで、大変感動しまして、それで『わたしも絶対医者になろう!』と決心したんです。人助けをしたいという願望みたいなものは、小さいころから持っていましたからね。
 わたしは、大学卒業後すぐ出家しましたので、特に医療の専門分野というのは決まっていなかったんです。でも、もしそのまま医者になっていたら、おそらく漫画のとおり“外科”に進んでいたと思いますね」


−−宗教的なものに興味を待ったのはいつごろですか。

K師 「小学校のころから、UFOとか超能力みたいなものが好きで、『なんで、こんなものがあるんやろう?』と興味を持っていました。テレビの『あなたの知らない世界』とか、『怪奇の心霊写真』とか、そういうオカルティックなものに興味がありましたね。
 宗教的なものに触れるきっかけとなったのは、中学二年生のときに、母親が先に入っていた世界救世教に入信したことです。そのときは、母親と、近所の世話をしてくれていたおじさんの勧めで入りました。
中身を見て『悪くはないな』と思いました。
 教義の内容については、あとから納得したという感じです。宗教に入るのは、特に抵抗はなかったですね。世界救世教の内容は、要するに“手かざし”です。
 でも、あまり熱心な信者ではなかったですね。布教所に月に一回通っていた程度でした」


−−どうして、「世界救世教」に見切りを付けたのですか。

K師 「大学に入って、あることから熱が冷めてしまって、自然消滅したという感じです。
 世界救世教の教祖は、確かに何らかの神秘的な力は持っていました。これは間違いないと思います。
しかし、次の二代目の教主は、そうした能力を持っていないんですね。そういうところに疑問を感じ始めたんです。
わたし自身にも、そういう力が身に付かないし。そこで、世話役の人に聞いたわけです。
『教祖はああいう神秘的な力を持っていたけれども、我々はそういう力を持っていない。なぜですか?』って。そうしたら、『あの人は神様≠セからです』という返事が返ってきたんです。それを聞いて、『これはニセモンだ』とピンときました。神秘的な力を持つに至るための方法は絶対あるはずだ、というのがわたしの中にありましたから、『ここにいつまでいても、神秘的な力、人々を救済する力は備わらない』と思いました。
 人々を救済できる力が身に付かないとしようがない、と思っていましたからね。そういう意味では、そのころから救済を意識していたとも言えます」



◆真理との感激の出合い  −−入信へ

−−オウム真理教にはどのようにして出合ったのですか。

K師 「わたしは高校二年生くらいから、精神世界の本を読みまくっていたんです。全部で数百冊は、読みました。
 まず、わたしが引かれたのは阿含宗です。神秘的な力を得るための具体的な行法がある、というふうに書かれていましたので、そのあたりに引かれました。入信はしませんでしたが……。次に引かれたのが、ヨーガの本山博さんでした。
 世界救世教を見切ってから、本山博さんの道場に一日二時間くらい通っていました。大学の二年か三年ごろです。でも、これにも何となく物足りなさを感じていました。指導してくださっている道場の責任者ですら、クンダリニーを覚醒させていないということでしたから。要するに、指導者が神秘的な力を持っていなかったんですね。
 そうこうしているうちに、オウムの『生死を超える』に出合ったんです」


−−オウム真理教の書籍を読まれて、いかがでしたか。

K師 「いやあー、これが段違いのレベルなんですよ。それまで、いろいろな本を読んでいただけあって、宗教のレベルは大体わかるようになっていました。ほとんどがドングリの背比べで、ちょっと抜きん出ているのが『クンダリニー』という言葉を取り入れて使っている、阿含宗と本山博だったわけです。
 ところが、オウムの本には、クンダリニーはシャクティーパット一発で覚醒すると書かれていて、『うおー』と思いました。大体、ものの本によると、『クンダリニーの覚醒は難しい。場合によっては数年とか一生かかる場合もある。たとえ覚醒したとしても、危険性がある。気が狂う、死ぬこともある』……この辺りが相場です。
 しかし、『生死を超える』はレベルが段違いでしたから、『ほんまかいな?』と思いましたね。しかし、体験談を読んだら、どうも嘘ではないなと思いました。そのときから、他の本がいっぺんに色あせてしまいました。それ以来、『マハーヤーナ』とかオウムの本ばかりそろえましたね」


−−入信の経緯をお話しください。

K師 「入信したのは八八年一月です。
『生死を超える』を見つけたのが八六年十月でしたから、ちょっとタマスでしたね。すぐには入信しなかったんです。
 そのころ、水球に熱中していたもので……。水球は中学くらいからやっていました。『このままじやいけない。いつか修行せねば。いつか修行せねば』という思いはありました。
そして、次第に気持ちが高揚してきたんです。  入信は、自分で道場に行きました。 いわゆる自力入信です。支部は地元の大阪で、当時ミラレパ正大師が担当されていました」


−−入信されてからいかがでしたか。

K師 「入信してからは修行一色の生活になりましたね。毎日がバクティ中心です。ビラ配りとか道場の雑用とか。道場にはほぼ毎日通っていましたね」
 信徒時代、カッピナ師は、ビラ配りの隊長として頑張っていた。カッピナ師の純朴な性格から推し量るに、多くの信徒さんの信望を集めていたことだろう。夜から朝方にかけてビラを配り、少し仮眠して学校に行くという日々が続いた。
 また、このころから神秘体験をし始めていたようだ。
 「学校から帰って、家で仮眠を取っているときに、いろいろな体験をしたようです。突然パッと起きて、『あーびっくりした。今、頭のてっぺんが爆発した。ものすごい音で目が覚めた』と言っていました。また、その当時、自転車で走っていて突然目の前の景色がパッと変わって、今まで見たこともないような景色が現われてびっくりした、といった体験も話してくれたことがあります」   
 (カッピナマーター師補)


−−初めて尊師に合われたときはいかがでしたか。

K師 「初めて尊師にお会いしたのは、二月か三月のシークレット・ヨーガのときでした。本物の尊師を見て、本当にすごいと思いました。雰囲気といいヴァイブレーションといい、人をば一っと包み込むようなものがあるんですね。それにとても大きく見えました」

−−尊師のシャクティーパットは受けられましたか。

K師 「わたしは尊師のシャクティーパットを二回受けているんです。で、二回目のときにいろいろな体験をしました。
 尊師がわたしの額に親指を置かれると、ものの五秒か十秒も経たないうちに、手足がバタバタし始めてきたんです。
『手足をバタバタさせないようにしなさい』『あごを引き締めて』と言われました。ですから、必死になって踏ん張っていました。そうすると、尾てい骨の辺りが、まるで熱いお湯を入れられたように、ぷくーっと膨れてくるんです。で、それが背筋を適って上昇するんです。そのような感じで、膨らんでは上昇し、膨らんでは上昇しを繰り返しました。
 感激しましたね、『あ、これがクンダリニーなんだ』って。そのときはアナハタの裏くらいまで上がりました。『やはりクンダリニーはあったんだ』とうれしくなりました」



◆出家、そして附属医院での奮闘

 大学時代に、師の出家の話が持ち上がった。 しかし、大学を卒業して医者になれば、教団で多くの功徳を積める。そのため、卒業を待って医師免許を取ってからの出家となった。
 医師の国家試験にも見事合格。九〇年四月二十九日に、すんなりと出家を果たしたのだった。出家されてからはいかがでしたか。

K師 「出家してすぐに、中野区のオウム真理教附属医院に配属になりました。その当時は、病院の業務については右も左もわからない状態でしたから、苦労しました。患者はいないわけではなかったけれど、少なかったですね。ですから、ほとんど毎日救急医療の勉強をしていました。サバイバルの研究が中心でした」

−−そのころの、思い出に残るエピソードがありましたら、お話しください。

K師 「ええ、これは何度か取り上げられた有名な話ですが −−わたしはその場にいなくて残念だったんですけど−−ある癌の患者さんが死にかけたことがありました。そのとき尊師がわざわざ熊本から来てくださって、尊師のお力で、医学的に『絶対助からない』と言われていた患者さんが一時的に蘇生したんです。その人を担当していたベテランの医師の方は、『こういうことは絶対あり得ない』って驚いていました。
 尊師が病院に着いて病室に入られるときに、『もし、この中に助からないと思っているサマナがいたら、部屋から出て行きなさい』とおっしゃったんです。何十年もの医者の経験のあるサマナは、『助からない』と思って部屋から出ていったそうです。しかし、結果は見事蘇生したんです。いや、それもちょっと意識が戻ったという程度ではなく、まさにはっきりと生き返ったんです。その人は、しっかりとした意識でアストラル丹を供養し、ソーマを供養したんです……ちゃんと飲食もしたんですね。そして、尊師が帰られた途端、容態が悪くなり、結果的には亡くなったんです。
 もう一つ、九一年一月ごろの話です。わたしがクンダリニー・ヨーガの成就の認定をされて間もないころのこと。そのころサマナで、出産間近の人がいました。その人は出家前に妊娠していたんです。で、わたしが出産に立ち会うことになりました。あとから考えると、よくあんなことをやったと思いましたが、このとき、わたしは冷や汗をかくほどのことをしでかしたのでした。
 そのときは難産で、生まれるのに二日以上もかかりました。普通は陣痛から十時間くらいなんです。そして、出てきた赤ちゃんは、なんと真っ白だったんです。わたしにとっては初めての出産の介助でしたから、それが危険な状態であることがわかりませんでした。逆に言えば、わからないがゆえに結構冷静に対応できたとも言えるのですけれど。その赤ちやんは、ぐたーつとしていて、呼吸もしていないし、泣かないし……。で、両足を右手で持って、左手でお尻を軽くパンパンと叩いて、『これで呼吸が始まらないかなあ』と“のんき”にやっていました。そうこうしているうちに、呼吸が始まって泣き始め、蘇生したんです。
 ここまでなら、単なる普通の話ですが、そのあとがあるんです。赤ちゃんが蘇生したあと、富士のヴァジラティッサ正悟師から電話がかかってきました。『そちらで何かなかったか』と言うんです。ちょうど赤ちやんが仮死状態にあったときに、尊師が倒れられたんだそうです。時刻は見事一致していました。
 あとからわかったことですが、やはり尊師がサマディに入られて、化身を飛ばして、赤ん坊のところに来られ、エンパワーメントを施されたということでした。お尻をパンパンしたくらいでは普通はよみがえりません。このときで思ったのは、尊師は赤ん坊をよみがえらせる力を持っていらっしゃるということ。弟子の一人一人の状態を逐一観察されているんだということです。やはり尊師は素晴らしいお力をお持ちですね」



◆クンダリニー・ヨーガをストレート成就

−−成就へ向けた修行はいかがでしたか。

K師 「九〇年七月ごろ、尊師から、成就のための極厳修行に入りなさいというご指示がありました。修行中は、あまり華々しい神秘体験はなかったですね。ただ、立位礼拝のときに−−十日目くらいでしたか−−光に没入した経験があり、このときに成就したかなという感じはありました。
 そのときの修行は、立位礼拝が二十六日間、それ以降クンダリニー・ヨーガの成就のための修行が三日あって、そのときに成就と認定されたんです。九〇年八月八日で、ちょうどわたしの誕生日でした。
 成就を与えていただいてからは、心が一段と肯定的になり、強くなりましたね」

 カッピナ師は、このときにホーリーネームとその意味合いを尊師から授かった。

 「カッピナというのはサマディに優れた修行者である」(尊師) −−当の本人は全くピンとこなかったようだが、尊師からご説明があったとおり、カッピナ師は、やがてサマディに秀でた修行者へと変貌していくのである。
 このように尊師は、修行者の資質を見越してホーリーネームを賦与されているのだ。


◆医療のワーク−−より献身的に

 カッピナ師の修行とワークにかける姿勢は、成就後、より一層献身的になっていく。これも、グルに対する帰依の深まりを現わしていると言えよう。
 成就後のカッピナ師のオウム真理教附属医院でのワークぶりを、イシダーシー師に語っていただいた。
 「カッピナ師は、いつも肯定的で積極的な思考をされていました。特に素晴らしいと思ったことは、決して愚痴を言わないことですね。患者さんには、惜しげもなくエネルギーを振りまくんです。それで、医局に戻ってきたときには昏眠に陥るほどに疲労されているのですが、それを修行で回復されるという、その繰り返しでした。そんな中にあっても、決して『疲れた』とか『カルマを受けた』とかいうことは、一言もおっしゃりませんでした。
 そして、患者さんを集めては説法されていました。カッピナ師は教学もしっかりされていましたので、どんな質問にも答えられるということで、患者さんの間でも人気がありましたね。  また、こんなこともありました。ある患者さんが気管内挿管をしていたのですが、ある日、患者も含めて全員が富士に集まることになったんです。その患者さんも、挿入管を外して富士に行ったのですが、富士で気管が詰まって危ない状態になってしまったんです。その患者さんの挿管は特殊で非常に難しく、ちょうどそのときは、その人専属の担当医がいなくて困ってしまいました。他の医者が試みてみるのですが、どうしても入らない。
 そのときにカッピナ師に見てもらつたんです。カッピナ師は、気管内挿管の経験はなかったのですが、患者さんに馬乗りになって、一発で挿管されました。あとから聞いたのですが、カッピナ師がやってきたとき、患者の方も『この人ならうまくいく』というような予感があったそうです。さすがに成就者のお力はすごいと思いました」



◆不当逮捕・不当裁判を経験して

 九五年五月、カッピナ師は監禁と住居侵入の容疑で逮捕されることになる。いずれも、普通ならば罪にもならないようなお粗末な内容であったが、警察・検察・裁判所の巧みな連携プレーで、有罪犯へと仕立て上げられてしまった。

−−カッピナ師は不当逮捕を経験なさったわけですが、そのときのことをお聞かせ願えませんか。

K師 「逮捕されたときの容疑は、監禁と住居侵入でした。
 監禁については、大阪支部のある信徒さんをワゴン車で第四サティアンまで連れていったという事実が容疑に上がったんです。その信徒さんは、自分から富士か上九方面に行きたいと言って、道場に来たわけです。その信徒さんを連れていっていただけの話で、それが監禁になってしまうんです」


−−監禁というのは本人の意思に反してということが条件ですよね。

K師 「当然、その信徒さんは教団に行くことを承知していたわけですが、相手をだまして連れていっていたというふうに、無理矢理なこじつけが行なわれたんです。
 新聞報道によると、その信徒さんが警察にしゃべった陳述の内容が、『わたしは、ある錠剤を飲まされて、ワゴン車に無理矢理乗せられ、ワゴン車の中で手錠をはめられ、肩から薬の注射を打たれた』ということなんですね。で、彼の言ったことが紛れもない事実であるかのように警察が思いこんで、逮捕状を請求したら、何と逮捕状が降りてしまったんです。彼の供述だけの話で……」


−−裁判では真実は明らかにはならなかったのですか。

K師 「裁判の経過で、錠剤を飲まされたとか、注射を打ったとか、手錠をはめたとかいう事実はどうもないらしいということが明らかになりました。その段階で、とっくの昔に無罪か、あるいは保釈になるはずなんです。ところがそうならずに、ズルズル最後まで引き続いて、判決が出る二カ月くらい前に裁判長が変わったんです。何か嫌な予感がしました−−『おかしいな』って。そしたら案の定、判決は、錠剤を飲ませたとか、手錠をはめたとか、注射打ったとか、そういう事実は事実として認められないが、しかし、相手をだまして連れていったことには変わりないので監禁になる、という内容だったんです。
 要するに、結論は有罪と決まっていて、理由は何でもいいんですね。理由を無理矢理こじつけて有罪という結論に持っていければ……。わたしのカルマですけどもね」


−−住居侵入についてはどうだったのですか。

K師 「あるサマナが、富士の道場からいなくなったんです。で、どうも名古屋の実家の方にいるらしいということで、実家の方に電話をしたんですが、家族が取り次がないんです。で、しょうがないからどうなっているのか状況を把握するために、見にいったんですね。実家から二百〜三百メートル離れたマンションがあって、その十四階の踊り場から家の様子をうかがっていました。これだけで住居侵入になってしまうんですよ(笑)。マンションに入ったということでね。
 普通、住居侵入というと、その人の家に上がり込んで、そこで騒ぎを起こしてやっと罪になるわけです。それが、公共の踊り場の、だれも来ないような吹きっさらしの所に長時間いたということだけで、住居侵入になるんですからね。こんなもの、言い出したら、新聞配達もみんな逮捕されますよね。
 大したことないのに、マスコミでも大々的に取り上げられて、極悪人に仕立て上げられてしまったんです(笑)。おまけに、有罪で二年六カ月の実刑。オウムだったら何でもありという感じですね。裁判は判例主義ですから、こんなことがまかり通るようならだれでも逮捕できますよ。怖いです。わたしの弁護士も、『こんなものは論理的な裁判じゃない』『こんなものは一種の行政処分や』と言って怒っていましたけれども。まさにそうですよ」


−−拘留中のことをお聞かせ願えますか。

K師 「わたしの場合、優しい刑事さんで、ぜんぜん厳しくありませんでした。
 わたしがずーっと黙って黙秘をしていると、刑事がいろいろとしゃべり出すんです。そして、人生悩み相談みたいに感じになってきて、その悩みに対して“ずばっ”と答えてあげると、ビビるんですよね、相手が(笑)。
 取り調べの検事は、大阪ではほとんど同じ人でした。怒鳴られたことはなかったですね。  途中、取り調べの関係で何度か名古屋の留置所に移されたことがありましたが、名古屋では入れ替わり立ち替わり来ました。警視庁からも来ましたね。何としても内部の情報を聞きたかったんですね。
 大阪では、『こんなもん絶対無罪だ』と思っていたので、一応事実関係は全部言ったんです。でも、起訴されましたね」


−−どんなことを言っても、起訴されるんですね。

K師 「検察も“うまーく”やるんです。こちらとしては善意で言っているつもりが、裁判所の方は逆手に取ってくるんですね。例えば、99.9パーセントこちらが有利なことを言って、0.1パーセント不利なことを言うとします。そうすると裁判所が判決文で持ち出してくるのは、0.1パーセントの不利な部分なんです。  その0.1パーセントの不利なことばかりを並べ立ててでき上がった判決文を読む限りは、さも有罪に見えるように仕上がっているんです。何もしゃべらない方が絶対いいですね。有利なこともしゃべらない方がいいです。よくわかりました。供述というのは、抜粋して、いくらでもこちらが不利なように作ることができるんですから。
 完全黙秘で起訴されるのでしたら、何を言っても起訴されますし、どうせ有罪になるのなら完全黙秘が絶対いいです」



◆深まる瞑想体験−−サマディ

−−勾留中にサマディの休験が始まったとお開きしたのですが。

K師 「ええ。名古屋の留置所にいるころから、化身が抜けるという体験は始まっていました。初めは、それがサマディであるとは気付かなかったんです。拘置所ではっきりとしたサマディの経験があったんですが、その体験と名古屋での体験が同じだったので、『ああ、あれはサマディだったんだ』とわかりました。
 留置所のときは、パッと抜け出してパッと帰ってくるという感じでした。大阪拘置所に入ってから、本格的な体験が始まったんです」


−−中ではどのような修行をされていたのですか。

K師 「中では、ムドラー三時間とウインド・トレーニングが二時間半くらい、グルヨーガと小乗のツァンダリー(第二・第四のプロセス)を合わせて二時間くらい、あと教学……これを毎日やりました」

−−サマディで尊師にお会いされたそうですが……。

K師 「はい。アストラルで会う尊師は、修行されているか、ワーク上の指示を与えられているか、説法されているか、イニシエーションされているか……大体この四つです。それ以外は何もされていません。わたしは十回近く尊師の所に行きましたが、いつ行ってもそうでしたりだから偶然じゃないです。
 なぜ尊師が偉大かというと、サマナに会った場合だと、大体ぼーっとしているんです。こちらの質問に対してもしどろもどろでした。尊師と全然違います。だから、いかに意識を二十四時間覚醒させておくことが難しいか、ということです。尊師の場合は常に覚醒されていましたね」


−−何か劇的な体験はありましたか。

K師 「一つは、わたしがサマディに入り、化身で空を飛ぼうとしたときのことです。このときはエネルギー状態があまり良くなかったせいか、ジャンプしたのですが、地上1メートルくらいの所で止まってしまったんです。そして『はて、どうしたものか』と思いましたが、『そうだ、グルを観想しよう』と思い直して、ほんの少しだけ尊師を観想したんです。すると、ガーーーーンとものすごい勢いで上に引き上げられ、あっという間に地面さえ見えないような、はるか上空まで引き上げられてしまったんです。
 この体験により、『ああ、やっぱり尊師のエネルギーとわたしのエネルギーとは全然違うんだな』ということを如実に認識し、理解しました。わたしのエネルギーを一粒の砂にたとえるなら、尊師のエネルギーは砂漠全体にたとえられるぐらいの差がありますね。
 もう一つの体験は、わたしがサマディに入り、化身で虚空を飛んでいたときのことです。このとき、意識状態が深くなるとしか表現できない独特な感覚が生じました。そして、少し恐怖心が生じたので、グルをかなり強く観想しました。すると、目の前に尊師が姿を現わされて、すぐにスーツと消えていったのです。そして、わたしもそれに引っ張られるような感じで、尊師と同じ空間に引きずり込まれたのです。
 このようにして、わたしが没入した世界は、空間しかない世界でした。そこには空間の広がり、そして至福と歓喜しかありませんでした。まさに非形状界という言葉がぴったりの世界でしたね(このあたりの尊師の訳語の正確さにも、舌を巻かざるを得ません)。この世界にしばらくとどまっていましたが、どのくらいの時間になるかはわかりませんでした。
何しろ、この世界では時間すらも消滅していましたから。そして、しばらくとどまった後、いろいろなイメージが現われ出し、最後に肉体に意識が戻ったのです。
 この体験でわたしが没入した世界は、まぎれもなく非形状界(コーザル世界)でしたが、ヨーガ経典によれば、コーザル世界に至るためには最低三時間サマディに入り続ける必要がある、と書かれているんです。しかし、わたしは、一瞬のうちに尊師の偉大なるお力によって非形状界にいざなわれました。ここでもわたしは『グルのお力はなんて偉大なのだろう!』と思い知らされましたね」

 九八年六月、カッピナ師は、大阪拘置所から神戸刑務所へと移っている。持ち前の屈託のなさで、受刑中も意気揚々と修行と仕事をこなされ、瞑想体験にもさらに磨きをかけていかれたようだ。
 「接見に行ったとき、カッピナ師は、いつも背筋をピシッと伸ばしていました。こちらが『困ったことはないですか?
』『つらいことはないですか』『体に異常はないですか』といったことを聞くんですが、師は、『何ともありません』『わたしのことを心配する必要はない』『毎日、本当に気楽に修行させてもらっています』とか言って、差し入れなんかも断られるんです。
 修行の方も頑張っていたみたいで、看守の人が『あの人は、いつ寝るのですか?』って驚いていました。
 師は、椅子に座って作業しているのですが、そこでも、ウインド・トレーニングをやっていると言っていました。わたしは『どうやって座ってウインド・トレーニングをするんやろ?』と思ったんですが、腰掛けた姿勢から1センチお尻を浮かすそうです。ちょうど『三盤落地勢』の体勢ですね。これを何分できるか時計で計りながらやるということでした。いろいろと工夫するもんやなと、感心しましたけどね」

    (カッピナマーター師補)


◆尊師の偉大さ、法則の正しさを実感

−−サマディに入るようになって気付いたことについて、お願いします。

K師 「先程言いましたように、まず尊師の偉大さが実感としてわかりましたね。わたしがサマディで経験したことで、尊師が説かれていないことは何一つないんです。ぜーんぶ尊師の法則どおりなんですね。経験と教学を照らし合わせて、初めてわかりました。サマディに入ったら、『ああ、こういうことだったんだ』とよくわかるんです。尊師はあまりにステージが高いがために、サマディに入らないとわからないようなことも、さらりと述べられているんです。我々とのギャップがいかに大きいかということです。
 あと、『現象と空性は同一である』とか、『すべては幻影であって実体がない』とかいうことも実感できました。また、エゴは自己の経験の構成によって構築されていること、すべては記憶修習によって決定されていることなど、普段尊師が説かれていたことが、はっきりわかりました。
 もう一つは、『何てわたしの修行ステージは低いんだ!』ということがわかりましたね。それまで、わたしは慢が結構出ていまして、『ひょっとしたら、わたしの修行ステージは結構高いんやないか……』って思っていたんです。それが、サマディに入れるようになって、『ああ、自分はなんて修行ステージが低いんだ』と、わかったんです。初めて、如実にわかりました。特に、尊師との落差を見せつけられて、本当に思いました。全然違いますから……」

 サマディは、それまで見えなかった尊師の実体を垣間見せてくれる。そのとき、初めてわたしたちは尊師の偉大さを真に理解し、ひれ伏すようになるのである。
 カッピナ師もサマディに入るようになって、このような経験をし、自己のステージの低さを認識すると共に、尊師と尊師の説かれる法則に対する信が確立するようになったのだ。

★★★
 もし、例えばここにわたしが存在し、わたしの根本神であられるシヴァ大神、あるいはすべての真理勝者方の実体というものをすべての魂が知るならば、当然それはひれ伏し、その実践をするであろう。
 しかし、そこが見えないところがおもしろいところなのである。見えないところで、見えない魂を済度するところに、また苦労もあるし、喜びもあるのである。

   (『キリスト宣言PARTl』)


◆支部活動で甘露の感覚が増大

 師は、昨年の十月十六日に出所されてから、一定期間の修行の後、支部に配属になった。今までのオウム真理教附属医院とは全く違うワークの場で、どのように感じているのだろうか。お伺いしてみた。

−−支部に来られていかがですか。

K師 「エネルギーの強さは持続できています。多分心が外側に向かってしまったため、サマディには入れなくなりましたが、徳の方は、大乗のボーディサットヴァの功徳を積んで、それを修行に還元するようにしているので、キープできています。
 なぜそう言えるかと言いますと、先程言ったムドラーをやったときの甘露の状態、それからウインド・トレーニングをやったときの甘露の生じる状態というのは、拘置所にいたころより、さらに増大してきてるんです。


−−カルマ交換についてはどうですか。

K師 「カルマを受けたという概念が全然わたしにはないんです。何十人の前で何時問いようと平気なんです。あるいは、満員電車に乗ろうが平気なんですよ、実は。接触しても全然関係ありません。衆生降伏道セミナーでも、カルマを受けたという感覚はありませんでした。あとになってルン・トラブルが若干起きますけれど。非常に鈍感というか」

−−管(ナーディー)が鍛えられているんですね。

K師 「修行していれば大丈夫ですね。修行は時間と密度です。特に、プラーナを蓄え、かつ悪業を浄化するための肉体的行法−−これを何時間やるかで、受けたカルマを浄化できるか、放出したプラーナを充填できるか、補充できるかが決まりますね。これをやらないから、みんな調子を崩してしまうんです。トゥモを起こす修行をガンガンやるべきだと思いますけどね。  ただ、行法ばかりだと、魔境に入ってしまう可能性もありますので、ちやんと煩悩捨断・教学・決意・懺悔も並行してやらなくてはいけませんけど」


◆信徒の皆さんへ−−もっと自信を持ってほしい

−−信徒の皆さんに一言お願いします。

K師 「修行というのは必ず結果が出ますので、あきらめずにやってほしいということですね。導きやバクティに関しても同じです。みんなあきらめるんですよね。なかなか変わらないから、『これは真理じゃないんじゃないか』『わたしの努力が無駄になったのではないか』という感じで。そこであきらめずに、何年かかろうが、何十年かかろうが、やってもらいたいですね。必ず、潜在的には蓄えられていっているわけですから。
 そして、みんなもっと自信を持ってもらいたいですね。これだけの教えがあって、これだけのグルがおられるのに、『何で自信がないんやろう?』と思うんです。なんか、自信がないがために修行が進まない感じがするんです。まあ、わたしのように、自信過剰も考えものかもしれませんが」


−−自信を待つには、どういうことを心掛ければいいですか。

K師 「日々、『わたしの実践している教えは最高の教えなんだ』と、あるいは『わたしが付き従っているグル方は最高のグルなんだ』ということを記憶修習するしかないですね。四時間に一回とか、六時間に一回とか思念されたらどうですかね。基本的な記憶修習が足りないから、心が不安定になるんでしょう。あとは、修行をしてプラーナを蓄えていないからだと思います」


◆最終完全解脱をしたい

−−最後に、カッピナ師のこれからの抱負をお願いします。

K師 「これが言いたかったんですよ(笑)。
 率直に言いまして、当面の目標はプラーナを蓄えて、陽神を形成し、アストラル・ヨーガを成就することです。その後は、ミラレーパやマハーモッガッラーナのような解脱者になること−−これが言いたかったんです。
 まあ、オウムのサマナは大勢いるんだから、一人くらいこういう変わった人がいないとね。みんながみんな同じじゃしようがないからなあー(笑)」



 すべての信徒・サマナが、カッピナ師のように元気″になれば、今の逆境などものともしないで、救済を大いに前進させることができるのではないだろうか。
 高らかに笑いながら抱負を述べてくださったカッピナ師の中に、わたしたちが忘れがちになっていた、修行者の真の明るさを見ることができた。