聖者への歩み
            


内なる可能性と至高への目覚め
★成就の軌跡とその後★
「救済への情熱を胸に抱いて」
マハーラーキニー師


プロフィール
・1994年7月1日、クンダリニー・ヨーガを成就
・離婚をきっかけに人生苦を悟り、真理の流れに入る。
・東京本部、横浜支部、仙台支部、大阪支部、名古屋支部と・出家後は主に支部活動に携わり、
・そこで積んだ膨大な功徳によって、次々と成就を果たした。
・現在は、名古屋支部で支部活動に携わっている。

 聖者へ至る道は、遠く険しいものがあります。修行途上で、心が大きく揺れたり、やる気を失 ったり、越えられないような壁にぶつかって挫折を経験することも珍しくありません。ときには 、グルに対する信と帰依すらぐらつくことさえあります。
 しかし、それでも自分の中に巣食う悪魔との闘いをあきらめず、グルを偉大なる導き手として 仰ぎ、努力し続けるなら、いつの日か必ず心の本性に到達し、生死を超えることができるのです 。
 けがれたわたしたちを引き上げようとされる、グルのご慈愛・哀れみは広大無辺です。
 オウム真理教には、幾多の試練を乗り越えクンダリニー・ヨーガの成就を果たした聖者がたくさんいます。これは、わたしたちの前に光の道が開かれていることの証(あかし)でもあります 。そして、その聖者は明日のあなたの姿でもあるのです。




 ◆ありきたりの子供時代
 全国の支部の中で、最も広い道場を誇る名古屋支部。ここに、偉大なグル・麻原尊師の導きによって、平凡な女性から聖者へと魂を飛翔させた一人の成就者がいる。大変エネルギッシュで、かつ、人を暖かく包み込むような雰囲気を持ち合わせている方……それが、マハーラーキニー師である。

 「とにかくエネルギーに満ちあふれた方です。そして何があっても動じない。いつも明るいんです。わたしも、いろいろと悩みごとがあって、何度か師に相談したことがあるのですが、師と話しているうちに、『何で自分はこんなことで悩んでいるのだろう?』って自然に思えてくるんです。悩んでいたことが『何てちっぽけなことなんだろう』って、今までの、とらわれていた自分がバカバカしくなってきます」

 「クンダリ二ー・ヨーガの成就者という、わたしたちより格段にステージが上の方なのに、大変気さくに振る舞ってくださいます。だから、何でも話せるし、非常に相談しやすいです」

 マハーラーキニー師を知るサマナの声である。
 今では、信徒・サマナを持ち前の明るさとエネルギーでバリバリ引っ張り、勉強会に、セミナーに、面談にと、支部活動全般で活躍されている師だが、幼少のころから社会に出るまでは、大変おとなしい性格だったという。


マハーラーキニー師(以下、「M師」)
「あまりしゃべらない子でしたね。親の言うことは何でも聞いていました。身体が弱かったから、毎日のように病院通いをしていました。よく熱を出していたんです。今思うとトゥモかもしれません。妹が一人いるのですが、わたしと妹が代わり番こで熱を出していました。そういう意味で、妹も修行者だったのでしょう。いずれにしても、親は大変だったと思います」

 興味を持っていたことも、ごく普通の若者と変わらなかった。
M師 「小さいころは漫画やアニメーションが好きで、“スポ根もの”や“SFもの”をよく見 ていました。でも、なぜか恋愛もの≠ヘ苦手でしたね。中学校のころは、漫画はもちろんです が、時には風景画を描いたりもしていました。
 漫画・アニメ好きが高じて、高校を卒業したら、アニメの学校に行こうと考えていました。セル画を作ったりなど、アニメーション関係の仕事に就きたかったんです。でも、親の反対で実現しませんでした。結局は、ありきたりのコンピューターの学校に行くことになってしまいました」

 そんなマハーラーキニー師だったが、幼少の時代に、宗教性を身に付けることになったひとつのきっかけがあった。それは、カトリックの幼稚園に通っていた ことである。そこで、「いいことをすれば天国に行き、悪いことをすれば地獄に行く」というキ リスト教的な考え方を、自然と身に付けていた。仏教の説く輪廻の世界は、このときには知る由 もなかったが、死後の世界を受け入れる精神的な土壌は、このときにでき上がっていた。

M師 「『どうせ死ぬのであれば、世の中のためになって死んだ方がいいな』と、おぼろげながら 考えていました」
「人生を人のために捧げたい」という思いは、幼少のころから社会に出るまで、ずっと心のどこ かで持ち続けていたのである。


 ◆離婚の苦しみ、真理との出会い   
 少女時代・学生時代・専門学校時代、就職と、だれもが経験するごく普通の人生を歩んでこられた師。そんな師にも、人生の辛酸をなめなければならない時期が やってきた。
 働き出してから、師は、小学校・中学校とー緒であった男性と付き合うようになった。両親の理解は得られなかったものの、恋愛は深まり、結婚、そして子供の誕生……と、若さと情熱に任せ、幸せな結婚生活が始まった。人生で多くの人が経験する、最も晴れやかで喜びの多い時期である。
 しかし、その喜びもつかの間であった。夫となった彼の浮気をきっかけに、一気に結婚生活は 破綻に向かったのである。

M師 「あのときは、本当に死んでしまおうかと思うくらい苦しみました。もう人間不信に陥ってしまって……。すごく暗い顔をしてましたし、すっかりやせ細ってしまって、毎日が惨たんたる生活でしたね。『もう二度と結婚なんかするものか!』って心の底から思いました。そのときは、自分に非があるとわからないから、相手が悪いとだけしか思っていなかったんです。『何で、こんなふうに裏切らなければいけないのかしら!』って。この憎しみは、やっぱり愛著の裏返しですね」

 激しいまでの恋愛、そのあとに待ち受けていた破局。師は、二十二歳という若さで、真理でいう「無常の苦」を肌身で感じた。しかし、まだ真理の教えを知らなかった当時は、苦しみに埋没し、現世的な楽しみで、何とか自分の心をごまかすしか術がなかったのである。
 そんなとき、妹を通じて、マハーラーキニー師はオウム真理教と出合った。それまで、妹と母親は阿含宗に入っており、その縁で師も阿含宗に入会していた。しかしその後、妹は阿含宗をやめて、オウム真理教に入信したのである。
 やがて、師は、妹から書籍『生死を超える』『イニシエーション』を借りて読んだり、アーサナやビバリータ・カラニーを始めたりした。そして、真理との縁が深まることとなったのである。

M師 「書籍は『生死を超える』がおもしろかったです。特に死後の世界の描写のところが、大変印象に残りました。
『へえー、こんな風に経験するんだ!』って……感動でしたね。
 また、わたしはもともとアーサナは好きだったので、妹が持って帰ってきた教材で、毎日やっていました。阿含宗では、千座行というものがあって、千日間、毎日数十分ほど仏壇の前で読経したり拝んだりするのですが、結局何の効果も感じられませんでした。今思えば、真理ではないのですから、結果が出なくて当たり前ですね。それよりも、オウム真理教の書籍で紹介されているアーサナやビバリータ・カラニーの方が、はるかに手ごたえがあったんです。
 それからしばらくして、麻原尊師の説法テープを聴かせてもらう機会がありました。内容は忘れましたが、そのテープでは、尊師が大変力強く法則を説かれていました。そのハッキリと言い切る、自信に満ちあふれた雰囲気に圧倒され、『この人ってすごい人ではないのだろうか』と思いました。それで入信することに決めたのです」

 八八年二月十四日、師は福岡支部で入信手続きを取った。
 そのころ福岡支部を担当されていたのはS大師。かなりの神通を持っており、マハーラーキニー師も心を読まれる体験などを通して、師の偉大さ・素晴らしさに心ひかれるようになっていった。
 しかし、このころは、グルに対してはまだピンとくるものはなかったと言われる。

M師 「八八年四月二十九日に、超能力セミナーと尊師説法会があったんです。その日は、初めて尊師にお会いできるとあって、ワクワクしていました。ところが、実際に尊師がエレベーターから出てこられ、実物の尊師≠見たときに、特にこれといった感動はわいてきませんでした。今思うと、ワクワクしていたのは、興味本位の期待感からだったようです。そのときは、『わたしって、このお方とは縁が遠いのかしら』と考え込んでしまいました。
 この日のセミナーでは、ムーラダーラ・チァクラが熱くなって、それが背骨を伝ってスヴァディスターナ・チァクラの裏まで上昇するといった神秘体験がありました。後日、尊師のシャクティーパットを受けたのですが、わたし自身の悪業の多さのためでしょうか、それとも尊師のシャクティーパットが、より深い心の部分に働きかけるエンパワーメントに変わっていたためでしょうか、このときには何も体験はありませんでした」

◆出家、カルマ落とし
 マハーラーキニー師は八八年六月二日に出家された。師自身、特に運命的なものを感じていたわけでなく、自然と出家の流れに乗っていたそうだ。「なぜ出家するのか」「なぜオウム真理教なのか」……それは、すべて過去世において約束されていたことであるかのごとく、「自然にそうなったとしか言いようがない」と師はおっしゃる。
 出家直前のエピソードを語っていただいた。
M師 「シャクティーパット準備クラスに出席していたある日のことです。
シャヴァアーサナをとっていると、やたらとアッサージ正悟師(当時スタッフ…現サマナの意)のヴィジョンが出てきたのです。『なぜなんだろう?』と思っていたら、その翌日、S大師が、わたしが前生でアッサージ正悟師のお姉さんだったことを教えてくれました。
わたしは『えっ』と思って、『そうしたら、わたしも出家するのかしら』と思いました。すると、大師がすかさず『出家?』と言われたの環わたしは『心の中を読まれてしまった!』と思いました。『やはり解脱されている大師はすごいんだ』と感心してしまいました。
 そのころのわたしは、夫と別れた後に別の彼ができていました。しかし、その関係は不倫でした。大師は、わたしにこれ以上悪業を積ませないように、現世から引き離そうとされたのだと思いますが、強く出家の方へ引っ張ってくださいました。そして、それによって彼とも別れることになりました。大師はさらに、わたしのためにわざわざ吉日を調べてくださったんです。それで、出家することができました」

 出家して、最初に配属になったのは「パフォーマンス部」。現世での悪業の清算が早くも起こり、師は数々の肉体的な苦しみと、心の葛藤に悩むことになる。

M師 「出家してからは、『パフォーマンス部』というところでワークをすることになりました。
朝五時に起きて、ビデオ教学をしてからチラシを配るという毎日が、しばらく続きました。わたしはそれまで自動車ばかり使っていて、すぐ近くに買い物に行くにも自動車で、ほとんど歩くことはありませんでした。ですから、最初は歩くのがつらくて、チラシは重いし、足は痛いし、腰は痛いしで、大変な思いをしていました。おまけに、雨であろうが風が強かろうが関係ありませんでしたので、精神的にも大変でした。今思うと、地獄のカルマや邪淫のカルマが落ちていたんですね。でもそのころは、教学もできていませんでしたので、あまりのつらさから、『自分はこの世界ではやっていけないのではないか』と思い始めてしまったんです。出家後わずか三日目にして、『家に帰ろうか』と真剣に悩みました。しかし、出家するときに、友達に『修行してくる!』と偉そうに言ってきましたので、こんなに早く帰ってしまうのも恥ずかしいと思い、なんとか下向することだけは思いとどまりました。
 毎日が本当につらかったのですが、そのうち足腰が鍛えられ、身体はどんどん強くなっていきました。修行を始めると、まずはムーラダーラ・チァクラが開発されて健康になるといわれていますが、まさにそのとおりだと思います」

 師は、このチラシ配りで、毎日、疲れたら一休み、疲れたら一休みを繰り返していた。あまり のつらさのため、手を抜いていたのである。しかし、ある日、どこからともなく「こんなことで いいのか?」という自戒の念がわき始めた。
 「よし、今日は頑張るぞ!」……なぜか、このような気持ちが起こってきたのである。それはグルからの示唆であり、師の中でカルマが変わる瞬間でもあった。

M師 「チラシ配りのときに、尊師が見てくださっているのがわかったときがあります。いつもな ら疲れたら日陰で休んでいたわたしが、その日は休まず頑張っていました。そして、その日に持 っていったチラシをすべて配り終えることができたのです。その瞬間、何かがカチッ≠ニ変わ りました。言葉ではうまく言えませんが、確かに心の何かが変化したのです。
 その日、道場に戻ったら、いきなり
『明日からお弁当屋さんに行ってくださ い』と言われたのです。そのとき、『尊師は、弟子一人一人の状態を見ていてくださっているの だな』って思いました」

 このように、心の変化によって修行環境が変わる体験は、特に出家者の場合、枚挙にいとまがない。この修行環境の一つ一つの変化は、グルの、弟子を成長させるための巧みな導きでもあるのだ。
 やがて師は、お弁当屋さんでのワークを経て、札幌支部に配属になる。書店営業のワークで、北海道の各書店を巡り、『生死を超える』や『イニシエーション』といったオウム真理教の書籍を紹介し、店に置いてもらうよう交渉するものであった。

M師 「このときは自動車で各書店を回っていました。わたしは自動車の運転が好きだったし、旅行も好きでしたので、自分の趣味を兼ねたようなワークでしたね。
 尊師は、たいていの場合、その人の得意とする分野のワークを与えてくださるということですが、わたしの場合も、ピッタリだったのかもしれません。尊師のつくられた出家教団というのは、なかなかシステム的にできているんだなと思いました。書店がなかった阿寒湖以外は、北海道をほぼ行き尽くしたという感じです。
『多くの書店に一冊でもいいから置いてもらって、凡夫の人が読んで、そこから修行してくれたらなあ』と念じながら、一店一店回っていくんです。どんな 小さな書店でも行って、何とか書籍を置いてもらっていました。
 しかし、悪業も積んでしまいました。
 馴れない雪道で、自動車を三台も壊してしまったんです。そのおかげで“下手くそドライバー”のワースト10の中に入ってしまいました。相次ぐ不始末に、申し訳なさでいっぱいでした」

 ◆ラージャ・ヨーガの成就……深まるグルへの信
 師は、離婚という苦しみのプロセスを経て真理の流れに入ったものの、そこにははっきりとした目的意識があったわけではなく、どちらかというと人生の自然な流れで真理に巡り合い、グルと巡り合った。そのため、在家のときもそうだが、出家してからも、尊師の偉大さをなかなか理解できなかったという。
 在家のときは、「こういう人も世の中にはいるんだな」程度。出家してからも最初のうちは「何でみんな 『尊師、尊師』って言うんだろう」と思っていたそうである。師にとっては、尊師よりむしろ身近な師やサマナに対する信頼が、心の支えになっていたようだ。
 そんなことから、ある日、こんな失敗をしてしまった。
M師 「そのころ、わたしはまだグルの偉大さというのがわかっていませんでした。マハー・ケイマ正大師が、シャクティーパットで支部に来られていたときのことです。ケイマ正大師がシャクティーパットを終えられて、瞑想されていました。そのとき、尊師からケイマ正大師宛てに電話がかかってきたのです。わたしは、今までの観念から『ただ今、瞑想中です』と言って、電話を取り次がないという失敗をしてしまいました。少しやり取りがあって、尊師に『早く代わってくれ』と言われて、ようやく代わりました。今では考えられないまぬけ≠ネ話ですね」
 しかし、そうした心にも、成就に向けた修行″で尊師の神秘力を目の当たりにすることによって、次第に変化が訪れた。師が、横浜支部に異動になって、縁深きアッサージ正悟師(当時「師」)のもとでワークをするようになってからのことである。
 八九年十一月十三日・富士山総本部での説法で、尊師は次のように言われた。

「約二百名の成就者を、これから十二月いっぱいで出そうと思っている。確かに、わたしの体は これ以上もっともっとボロボロになるかもしれない。しかし、この体はグルと、今までのわたし の偉大なるグルたちと、そして、シヴァ神に捧げた身だ」

 「二百名の成就者を出す」……突然の発表に、道場に一瞬緊張が走った。だれもが尊師の言葉を聞き逃さないように集中している。

「……だから次は、二百名の成就者をつくる!そのためには、今のゆったりしたシッシャ生活から、君たちの心そのものが一変しなければならない。そして、わたしが君たちに要求した三万人の成就者を出さなければならない。そのことが達成できるかどうかは、君たちが本当に自分を意識し、そしてここに『解脱のために来たんだ!』と、『救済のために来たんだ!』という意識を持てるかどうかだ」

 尊師の力強い激(げき)が飛ぶ。自己を犠牲にしてでも救済に懸ける尊師の熱き思いは、その 場にいた多くのサマナの意識を一瞬にしてチェンジし、成就へと駆り立てることになった。その 場にいたマハーラーキニー師も、心の中で「必ず成就するんだ!」と自分に言い聞かせていた。

 修行は、十一月・十二月の二期に分かれており、マハーラーキニー師は、第二期のメンバーに選ばれた。やがて、成就に向けた修行が始まった。第一期の修行に入った法友たちが、次々と成就していく。師は、大きな期待を持って第二期の修行に臨んだ。
M師 「このときの修行内容は、ヴァヤヴィヤ・クンバカ・プラーナーヤーマ、アパンクリヤ、詞章読みの繰り返しでした。修行中、尊師はずっと祭壇にいらっしゃって、アーモンドの修法をされていました。尊師が空間を変えてくださったので、ヴァヤヴィヤでクンバカをすると、すぐにダルドリーが起こりました。初めてのダルドリーでしたので、おもしろくて何度も何度も飛んでいました。そして三グナもすぐに見えてきました。
 今まで神秘体験も何もないわたしが、この修行では簡単に飛んだり色が見えたりするので、これは自分の力ではなく、尊師のお力でしかないということが、身に染みてわかりました。すごい方なんだなと思いました」

 師はこれまで、霊的な体験はほとんどないタイプであった。小さいころに、金縛りに一度遭ったのと、超能力セミナーで若干熱の体験をしたくらいで、信徒時代に受けたシャクティーパットでも何の体験も得られなかったのは、先に述べたとおりである。その師が、わずか三日半の修行で、ダルドリー・シッディを経験し、三グナを霊視したのである。
 この体験から、師はようやくグルの偉大さが理解でき始めたという。まさに、どう見ても常人にはなし得ない神業だったのである。
 この修行中、尊師は、間断なく祭壇の上で瞑想され、修行者全員にエンパワーメントし続けられていた。師の記憶に残っている限り、小休止を除いて、尊師は一度も祭壇から降りられることはなかったという。
 尊師のお力で、空間そのものを変え、修行者の意識を次々と解放の領域へ導かれたのである。
 急激に魂の進化の過程をたどる修行者たち……。この修行で、尊師が降り注がれたエネルギーの量は、いかほどのものであったであろうか。その結果として、尊師が吸収されたカルマは、いかに膨大なものであったであろうか。わたしたちには想像も及ばないが、尊師は、御身を犠牲にされながらも、言葉に出されたことを着実に実行へと移し、結果を出されていったのである。
 師も、このときの修行で、ラージャ・ヨーガの成就を与えられた。

M師 「支部に帰ってみると、声の通りがいいのです。アッサージ正悟師に『声の通りが良くなりました』と言ったら、『成就してナーディーが通ったからだ』と言われました。それで、成就させていただいたんだと実感しました」

 グルのエネルギーによって聖なる経験をされ、順当にラージャ・ヨーガを成就さ れた師は、次なるステージであるクンダリニー・ヨーガのステップを歩まれることになる。


◆クンダリニー・ヨ−ガへの道
 九〇年の選挙、石垣セミナーといった大きな出来事を経て、再び支部活動に就いた師は、九一年三月から半年間の極厳修行に入ることになった。次のステップであるクンダリニー・ヨーガの成就を目指した修行が、ここに始まった。
 しかし、この修行では、成就欲求の少なさや心の弱さから、なかなかグルに意識が向かわず、結果を出すことはできなかった。やがて極厳修行班は経行教学修行班になった。

M師 「経行修行の初日は、尊師もご一緒でした。第二サティアンから富士道場に行くだけでしたが、いくら早足に歩いても尊師に追い付くことはできませんでした。尊師は歩くのが速くて速くて、まさに神足通です」

 尊師の神通や人間の域を超えた数々の能力は、尊師と間近に接することのできる出家修行者たちにとっては、もはや当たり前のことであった。しかし、尊師と離れた場所でワークをしていた師にとって、頭ではわかってはいても、尊師のすごさを目の当たりにしたときには、やはり驚きもひとしおだったのである。
 このような経験を積み重ねることによって、師の中の尊師像は、興味の対象から本当の意味での帰依の対象へと、少しずつ変化していった。
 この経行数学修行で、師は、特別教学入門十課を終わらせ、「比丘説法士」として新たに東京本部に配属になった。しかし、ここにきて、内側にある本質的なカルマに翻弄されるようになったのである。
M師 「東京本部では、最初は良かったのですが、やがて、性欲からあるサマナに引っかかってしまったんです。引っかかると、どうしても気になってしまいますから、そこからどんどんどんどん意識が外側に向かい始めました。出家する前のことをいろいろ思い出して、『ああしていればよかった、こうしていればよかった』といった後悔の念にさいなまれたり、出家前に付き合っていた彼のことが思い出されたりして、困惑してしまいました。
 それに、比丘説法士として配属になったものの、入門の十課が終わったくらいでは法則が入っておらず、人前で法則の話をすることができないのです。それで卑屈さも出てきて、落ち込んでしまいました」

 袋小路に陥ってしまったマハーラーキニー師。その状態を見かねた上長のアドバイスにより、師は、再び修行に入ることになった。
M師 「修行に入れていただいてから、すぐにイニシエーションがあったんです。そのとき、尊師は瞬時にわたしの状態を見抜かれたんでしょう ……『そんなことじゃ解脱せんぞ!』と一喝されました。そのときは、もうほんとに小さくなっていまして、尊師からのアドバイスの内容もよく覚えていないほどでした。『ほんとに申し訳ありません』って心の中で叫んでいました。
 グルは本当に弟子の状態をよくご覧になっています。ありがたいことですね」

 尊師の叱咤でカルマを落とされた師は、一転して奮起し、この修行で特別教学システム中級八課三級までを終わらせた。経行数学修行のときよりも深く、真理の教えを心に根づかせたのである。そして、仙台支部に配属になった。この仙台支部で、師は、最初、悲しい現実にぶつかることになったが、それを乗り越え、本格的に、クンダリニー・ヨーガへ向けての膨大な功徳を積み上げることになる。

M師 「仙台支部は、東北六県を管轄していますので、わたしは来道できない信徒さんを担当していました。月の半分は車に泊まり込んでのフォローでした。
 このときに、わたしにとって忘れることのできないショッキングな出来事が起こりました。ペアでワークをしていた師の方とサマナが下向してしまったのです。
 このとき、尊師から、そのとき支部を訪れていたウパーリ正悟師(当時師)宛てに電話がありました。ちょうど正悟師は不在でしたので、代わってわたしが出ました。、私財いのない会話でしたが、尊師はわたしの様子を気遣ってくださっていました。あまり尊師と接することのないわたしでしたが、距離的に遠い弟子であっても、すぐそばにいるかのように見ていてくださるんだなって、本当に心強く思いました」

 しかし、師の試練はまだまだ続いた。当時の担当の師に対して、心のけがれが出てしまったのだ。
M師 「その後、ウパーリ正悟師も異動になって、代わりにP師が来られました。
ところが、わたしはP師となかなか息が合わず、たびたび嫌悪が出て、どうしようもなくなってしまいました。二度ほど亀戸の『救済者になれセミナー』に参加させてもらって、嫌悪は一旦収まったのですが、帰ってきて一カ月くらい経つと同じことの繰り返しで、また嫌悪が出てしまいました。
 そこで、ついに尊師に部署異動のお願いを出したんです。しかし、いつまで待っても何の音沙汰もありませんでした。それで、お返事が来ないのは『このまま続けなさい』ということなんだと思い、嫌悪と闘いながらワークを続けたんです。
 この嫌悪は、結局、わたしが『こうやっているのに、それに応えてくれない』とか、頑張っている自分を認めてほしいという、エゴの裏返しだったんです。真理の教えでは、嫌悪は愛著の裏返しであるといわれているのに、当時のわたしは、感情に巻き込まれてしまって、法則がどこかへ消えてしまっていたようですね」

 嫌悪と闘いながらの必死の努力が報われたのか、ここで大きな転機が訪れた。成就に向けての膨大な功徳を積むチャンスに恵まれたのである。

M師 「二カ月ほどしてP師も異動になってしまいました。それからがもう大変……!仙台支部は、わたしともう一人のサマナの二人だけになってしまったのです。嫌悪どころではなくなってしまいました。
 このときから、少し救済に目覚めて、
『信徒さんを放っとくわけにはいかないわ』という思いに駆られました。師でないと勉強会ができないので、日曜日にスワミ(ラージャ・ヨーガの成就者)にでもできるウインド・トレーニングや、ガーヤトリー真言を入れたセミナーを開いたりしていました。
 また、そのころはイニシエーションずくめだったんです。イニシエーションに多くの信徒さんを参加させたり、信徒さんの対応をしながら経理、事務処理、また県外の信徒さん宅回りと、このときにたくさんの功徳を積ませていただきました」

 サマナと二人だけで切り盛りした支部活動……そこで、師は多くの功徳を積んだ。やがて、九四年に行なわれたイニシエーションで、クンダリニー・ヨーガの成就が与えられることになる。


 ◆与えられた成就、そして救済へ
 以前の極厳修行では成就できなかったマハーラーキニー師だったが、仙台支部で、多くの功徳を積んだため、九四年のイニシエーションによって、速やかに成就が与えられた。

M師 「イニシエーションの間中、尊師のことをずーつと考えていました。エネルギーが上がってきて、アナハタで詰まっていたため吐き気がしたので、横にならせていただきました。そして、深い意識に入って、尊師のことを意識していると、尊師が一緒に遊んでくださるのです。
 『尊師だ。尊師だ!』と喜んでいると、突然、尊師はとても大きくなって、わたしはそれに張り付いて『わーい、わーい』と喜んでいました。
 すると、いきなりエネルギーが上昇して、グルとの合一といったらいいのでしょうか、これまでに経験したことのないような幸福で歓喜の状態になりました。あれが尊師のおっしゃる絶対幸福・絶対歓喜なのでしょうか。もう何も要らないという状態です。すべてが満たされていて、身体は軽く、食べ物は要らない、性欲はないという、今まで味わったことのない状態でした。『尊師の状態って、いつもこうなんだ』と思いました。
 そして、『もともとはわたしたち、こういう状態だったんだよね』と思ったら、急に涙が出てきました。『わたしも含めて、世の中の人たちって、なんてバカなんだ。こんなに素晴らしい状態だったのに、無智なるがゆえに、三グナに干渉されて落っこちてきてしまって、今は煩悩に翻弄されて苦しんでいる』
……ものすごく哀れみの気持ちが出てきました。
 この後、『これではいけない。救済活動のお手伝いを頑張らなきゃ』と、尊師に何度も何度も決意していました」

 クンダリニー・ヨーガの成就……ごく平凡な女性から、成就を達成した師には、どのような変化が訪れたのだろうか。

M師 「成就させていただいてからは、一段と声の通りが良くなりました。心も、以前よりずっと強くなったように思います。いろいろな現象があったとしても、そんなに心が動かないのです。すごく前向きに、支部活動を進めていくことができるのです。そこに何か困難なことが生じたとしても、前向きに処理していけるようになりました。自分が目標を立てたことは、すんなりと達成することができるのです。また、以前はほとんどできなかったのですが、最近は少しずつですが、四無量心の実践ができるようになってきたかな、と感じています」

 イニシエーションによって、グルの世界を垣間見るという決定的な体験をされた師。「成就はグルによって与えられる」「グルは広大無辺な四無量心をお持ちである」「グルのお心は、絶対的な平安と歓喜に包まれている」……まさに真理の教えで説かれている内容を実体験され、師のグルに対する信・帰依は、格段に深まった。

 クンダリニー・ヨーガの成就が師にもたらした恩恵は、これだけではない。まさに、救済を背景とした強い心・前向きな心が、グルによって与えられたのである。仙台支部のときに培った「自分たちが信徒さんを引き上げなければ……」という強い使命感は、クンダリニー・ヨーガの成就によってさらに強化され、以来、師の支部活動をする上での心の礎になっている。
 支部での活動は過酷を極める。救済のためにできるだけ多くの信徒・会員のカルマを吸収し、その負荷がかかった状態で、セミナーや勉強会、面談、宅訪等多くのワークをこなしていかなければならない。しかし、師は、それらの多くの課題を間断なく処理されている。その背景には「強い心」が培われているからにほかならない。

 「マハーラーキニー師が大阪支部におられたころのことです。ちょうど支部には、マハーラーキニー師を入れて二人の師がおられました。ところが、もう一人の師が体調を崩されてしまったことがあったんです。そのとき、マハーラーキニー師は、何日間もー人で様々な支部の催しものをこなされていました。大阪支部は、西日本の広い範囲を管轄していますから、師の方お一人ではなかなか大変なものがありました。そして、はた目から見ても、顔はばんばんに腫れ、お苦しそうで、わたしも心配になりました。しかし、マハーラーキニー師は、『死んでも頑張る』とおっしゃられ、その心の強さ、使命感の強さにはびっくりさせられました。
 わたしはまだ成就をしていませんので、師がどれほどの苦しみを背負われているのか実感としてはわかりませんが、肉体上に現われている現象を見る限り、わたしが考えている以上の負荷がかかっているんだろうな……と思います。そういう寿喋で、本当に師の心の強さには、感服しました」

 師が大阪支部にいたころの、サマナの声である。マハーラーキニー師の、成就者としての気迫を感じさせるエピソードである。
 救済を背景とした強い心 ……それは、師にとって、これからも最も大切な宝物となり続けることだろう。

 無明の闇に覆われ、想像も及ばないようなはるかな過去から輪廻転生してきたわたしたち。地球上の砂漠の中で、たった一粒の砂を手にするほどの確率で真理に巡り合い、偉大なるグルと巡り合い、成就によって“宇宙の真実”を知ることができる魂はごくわずかである。
 今生、その希有なチャンスを生かし、救済者への道を歩み始めた魂の中に、マハーラーキニー師の姿はあった。
 ごく普通の子供、ごく普通の学生、そしてごく普通のOL生活を送ってきた一女性が、人生の苦悩によって、修行者としての意識を目覚めさせられた。
 そして尊師の、要所要所での導きと適切なアドバイスによって、無智に覆われた状態から光の世界へと導かれた師。今、師の心の中には、帰依の対象としての光り輝くグルが宿っている。もちろん、グルのご意思である、衆生救済への熱き思いも……。

 ◆全力で法則の流布をしていきたい
M師 「尊師が拘置所に入られて、もうすぐ四年になります。この間、振り返ってみますと、いろいろなことがありました。
 度重なる強制捜査や破産手続き、さらには破防法がかかるとかで、守りに回らざるを得ない状況だったため、活動が抑えられ気味でした。破防法が回避されたあとも、その余韻が残って、思うように支部活動を活性化させることができていないと思います。それは、わたしたちの心に疑念がはびこったり、怠惰がはびこったり、求道心や救済欲求が弱くなってきているためだと思います。ちょっと気が抜けてしまって、ぬるま湯に浸かったような状態ですね。わたし自身も、この点については懺悔しなくてはと思っています。
 今までのピラや小冊子に加えて、このたび、新しい企画も出てきていますので、今の逆風に打ち勝って、どんどん外にオウム真理教の良さをアピールしていきたいと思っています。
 世の中、前生の尊師の弟子がまだまだたくさんいるということです。この殺伐とした現世に苦悩されている方も大勢いると思います。その方々に、全力で法則の流布をしていきたいと思います。それが、今生、グルから与えられた使命ですから……。
 また、わたし自身も、今以上に功徳を積ませていただいて、ぜひマハームドラーの成就を与えていただきたいと思います」

 ◆日々の身・口・意の修習かすべて
M師 「わたしは、皆さんに、ある程度の長い修行に入ることをお勧めします。それは、いろんな意味で多くの利益が得られるからです。
 わたしは何度か長期の修行に入れていただいています。長期の修行の一つのメリットは、自分自身を証智できることです。
 修行を続けていくと潜在意識に入っていき、今までわからなかった自分が出てきたり、自分の引っ掛かりが出てきたりと、己の本当の姿を知ることができます。もちろん、そこにはけがれた自分がいるわけですから、それを見せつけられるときに嫌な思いがするのは当然です。しかし、それを超えると素晴らしい境地が待っているのです。そのときには、心も確実に強くなっています。
 そして、修行を続けていくうちに気付いたことですが、いい瞑想体験ができるか、単に苦しい体験で終わってしまうのかは、すべて日々の身・口・意の修習にかかっているんだなということです。良い方に頑張っているならば、良い結果が出るし、悪い方向に向かっていれば、悪い結果しか出てきません。
 そして、良い結果を出すためには、そのエネルギー源である功徳が必要です。功徳は、いい瞑想体験を与えてくれるだけでなく、来世、高い世界への転生を確実なものにしてくれます。もちろん、蓄えた功徳を漏らさないための、持戒の実践は必要です。そして、膨大な功徳を積めば、今生で、クンダリニー・ヨーガの成就も与えていただけるのです。
 現在のような逆境の時代に積む功徳は、順風時に積む功徳の何百倍、何千倍、何万倍ともいわれています。今こそチャンスです。布施・バクティ・導きなどで大いに功徳を積んで、大いに教学をし、皆さんも自分の修行を進めていただきたいと思います。
 今年はもう一九九九年です。世の中は、徐々に徐々に尊師の予言どおりに進んできています。これから激動の時代に入っていくでしょう。サバイバル等の外側の準備もそうですが、来世のことを考え、内側の準備……つまり功徳・教学・瞑想ですね……をしっかりしていただきたいと思います。一分一秒を惜しんで、修行に遇進(まいしん)しましょう。頑張ってください!」


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