聖者への歩み

内なる可能性と互高への目覚め

★成就の軌跡とその後★
「グルにすべてを委ねて」

ボーディサットヴァ・スサーラダ師長補



聖者へ至る道は、遠く険しいものがあります。 修行途上で、心が大きく揺れたりやる気を失ったり、大きな壁にぶつかって挫折を経験することも珍しくありません。 ときには、グルに対する信と帰依がぐらつくことさえあります。 しかし、それでも自分の中に巣くう悪魔との闘いをあきらめず、グルを偉大なる導き手として仰ぎ、 努力し続けるなら、いつの日か必ず、心の本性に到達し、生死を超えることができるのです。 けがれたわたしたちを引き上げようとされる、グルのご慈愛・哀れみは広大無辺です。 オウム真理教には、幾多の試練を乗り越えクンダリニー・ヨーガの成就を果たした聖者がたくさんいます。 これは、わたしたちの前に先の逆が開かれていることの証でもあります。 そして、その聖者は明日のあなたの姿でもあるのです。

プロフイール
1994年7月1日、クンダリニー・ヨーガを成就。
子供のころからの心の空虚さを解決するため精神世界に関心を持ち、知人の紹介でオウム真理教と出合う。出家後、SIS(印刷班)で、持ち前の精神力と情熱を背景にバリバリとワークをこなし、ラージャ・ヨーガ、クンダリニー・ヨーガの成就を果たす。
現在、サマナの指導に当たっている。



◆真実の愛を求めて

子供のころから、心の中に虚しさを抱えていた師。どうにかしてその穴を埋めようと、サッカー、情報、異性、旅……と手当たり次第に経験したが、外側の世界には求めたものは存在しなかった。やがて師は、修行によって得られる“真実の愛”こそ心を癒す薬であることを確信、知人の紹介で真理と出合うことになる。

●心の空虚さを抱えて
 わたしは、中学一年のころ、あることから非常に傷つきやすくなりました。
 そのころ、わたしは結構モテる方で、異性とよくおしゃべりを楽しんでいました。ところが、あるとき、一人の男子生徒から「女の子と話しているときは楽しそうだね」と嫌みっぼく言われたのです。その嫉妬心は、無防備だったわたしの心に突き刺さりました。それまで心を許せると思っていた友達だっただけに、余計にです。
 それ以来、何気ない周りの言葉に対して、ある種の恐怖感を抱くようになりました。「自分がこれをすることによって、だれかが悪感情を抱いたりしないだろうか」と、周りの目を強く気にするようになったのです。
 これは、尊師が「そこに性的対象物があると性的衝動に駆られ、そして、妥協して楽であれば妥協すると。それによってその人の心はどんどん退縮し、小さくなり、恐怖におののくようになり……」と説かれているように、前生、そして今生の性的修習によるものだと思います。みんなと仲良くしたいという心と裏腹に、攻撃されないように人との間に壁をつくり、わたしの心を悟られないように振る舞い、傷つけられないように周りとの距離を置いたのです。
 しかし、壁をつくることはわたしにとって窮屈でした。装うことによって心は本来の輝きを失いました。その上、他人との距離を置くことで心に寂しさを味わうことになったのです。この空虚感は絶えずわたしの心の片隅に存在していました。
 それを埋めるように、わたしはサッカーに夢中になりました。グラウンドで駆け回るわたしは、自由で輝き、喜びに満ちていました。そしていつしか、サッカーなしには、自分の心の空虚さを埋めることができなくなっていました。まさにサッカー中毒です。サッカーをし、仲間と酒食をともにし、冗談を言う−−そんな生活が大学まで約十年続きました。
 が、ふと一人我に返ると、「おれってどこかおかしいんじゃないかな?」という思いが頭の中をよぎるようになっていました。満たされない心の虚しさを埋めるため、わたしはいろんな情報を入れていきました。スポーツ・音楽・映画・科学・小説など、暇があればデータを入れ続けていたのですが、そのどれもが、いわばアメリカ礼賛型のものばかりでした。そして、いつしかわたしは、「アメリカは偉いんだ。日本はダメなんだ。おれはダメなんだ」と考えるようになっていたのです。すごく卑屈になっていたと思います。
 そんなある日、ある本に「アメリカは精神病である」と書かれているのを発見し、わたしの卑屈の鎖は解き放たれました。戦争・公害・食糧危機・疫病と、アメリカが主導する世界が破滅に向かっているのが、わたしの目に明らかになったのです。「そうか、おかしいのはおれではなく、アメリカが支配するこの社会の方だったんだ」−−いつの間にか元気なく、奴隷のようになっていたわたしの心は、真実の世界をこの目で見る必要性を感じていました。

●「日本にすごい人がいる」
 大学四年になり、就職を控えていたわたしは、サッカーに代わる熱中すべき何かを探すため、休学して旅に出ることにしました。いろんな出来事に出合いながら、最終的にインドで得た結論は、「それは外側を旅しても見つからない。自分の心の中にあるんだ」ということでした。それを見つけるために、精神世界の本を読みあさりましたが、なかなか見つかりません。
 そんなとき、一人の女性がわたしの前に現われました。最初は何も感じなかったのですが、彼女の服装はわたしの好みのそれに変わり、好みの髪型に変わり、どんどん魅力的になっていくではありませんか。そして、お互いがお互いを理解し」壁はなくなり、心は広がり、相手の喜びが自分の喜びとなりました。もう表面を装う必要もなく、いつも一緒にいることによって、寂しさはなくなったのでした。
 しかしそれも一時的で、性欲を満たすたびに、わたしはその後に来る虚無感を埋めきれず、途方に暮れました。
 「確かに社会は狂っている。しかし、おれも狂っている」
 わたしにはそれを癒す薬が必要でした。サッカーでも異性でもない真の薬が必要だったのです。「それが愛というものじゃないか。そして、修行によってそれが得られるのではないか」と、おぼろげながらわかっていました。
 「よし、チベットに行こう!チベットで修行をして、真実の愛を勝ち取るぞ!そして、同じように迷える多くの人々を救うんだ!」−−わたしの胸は高鳴りました。そして、知り合いのヨーガの先生に、このことを打ち明けたのです。するとその先生は、
「何も今チベットに行かなくても、日本にすごい人がいるんだ。その人に会ってからでもチベットは遅くはない。−−その人の名は、麻原彰晃というんだ」
と言って、彼は一冊の本を貸してくれました。それが『生死を超える』だったのです。
 「これは本物だ⊥と直感したわたしは、早速大阪支部に足を運びました。そのころ大阪支部は、成就されて間もないP正悟師(当時大師)が担当されていました。「この人はまともな人だ」と思いました。そして、大師の誠実な人柄にひかれ、その次の週に入信したのでした。八八年四月のことでした。


 ◆グルに導かれて出家へ

  尊師の最後のシャクティーパットによって、現世への興味がどんどん色あせ、逆に出家への思いを募らせた師。入信から一年後、現世のしがらみを振り切って出家を果たした。

●グルに身を委ねて
 入信して間もなく、わたしは、知人とともにステーキ屋を始めることになりました。その店の立ち上げを手伝い始めたわたしは、忙しさにかまけて、ろくに信徒活動をしていませんでした。しかし、富士山総本部道場の道場開きには、誘われるままに参加したのです。そしてその後、尊師の最後のシャクティーパットを受ける単位を取るために、二十四時間セミナーにも参加しました。
 このセミナーでのことですが、前で一緒にヴァヤヴィヤ・クンバカ・プラーナーヤーマをしていた並木さん(ソーパーカ師)が、突然ぴょんぴょん跳ね出しました。「う〜ん。わたしにもできないはずはない」と思ったわたしは、蓮華座の痛みに耐えながら必死に息を止めました。
 すると、頭の中が真っ白になり、蓮華座の痛みが抜け、ダルドリー・シッディが起きたのです。これによって修行に対しての確信を得たわたしは、期待とともにシャクティーパットに臨みました。
 シャクティーパット会場の待合室で順番を待っていたわたしの予定時間は、大幅に遅れていました。聞けば、尊師が高熱のため倒れられ、瞑想されているとのこと。とうとう夜明け近くになり、「今日は延期だな」と思ってあきらめていたところ、わたしの順番が回ってきました。予想外のことでした。
 尊師のお疲れの姿を間近にすると、日ごろ不摂生を行ない、修行不足であったわたしには、「尊師にわたしのけがれが行ってしまって、また倒れられたら申し訳ない」という思いがわき起こりました。ですから、シャクティーパットを受けながらも、尊師にわたしのけがれが行かないようにと思念していました。このようにグルを思いやる心の働きの奥には、実は傲慢あるのだということに、このときのわたしは、まだ気付いていなかったのです。
 ところが、尊師の「集中して」という声に、「どうしようか」と迷って目を開けると、立ち上がって歩くのもやっとという尊師が、ニコリと笑っていらしたのです。「尊師はすべてお見通しなんだ」とわたしはやっと観念し、体の力を抜き、グルに身を委ねたのでした。

●出家がわたしの道
 シャクティーパットでは、これといった霊的体験をしなかったわたしですが、それ以降、現世への興味がどんどん薄れ、色あせていきました。そして、わたしの道はオウムに出家することだと思うようになりました。このように、わたしの心に急激な変化が起こったこと自体、煩悩が弱まったという証であり、尊師に与えていただいた神聖なエネルギーが、いかに強力なものであったかがわかります。
 しかし、ようやく軌道に乗ったばかりの店への責任感としがらみで、なかなか出家の話を持ち出せませんでした。尊師の特別イニシエーションを十一月に大阪で受けたのですが、出家に踏み切ることなく、大みそかになっても、わたしは相変わらず店でお客さんとコマを回して遊んでいました。
 そのときです。わたしの頭の中に、「何をやっているんだおれは!こんなバカなことをやめて、オウムに行かなくちゃ」という声がガツンと響きました。それはちょうど富士で尊師最後のイニシエーションが行なわれているときでした。
 次の日、早速辞意を表明し、仕事の引き継ぎを終え、八九年三月十五日、やっと出家を果たしたのでした。


 ◆極限のワークで、ラージャ・ヨーガを成就

 SIS(印刷班)での師のワークは、まさに印刷機械との取っ組み合いであった。インクにまみれ、ほこりにまみれて極限のワークは続けられた。そこで培った強い意 志力と功徳を持って入った極厳修行で、師は三グナを霊視し、ラージャ・ヨーガの成就を果たすことになる。

●出家直後の一撃
 出家して間もなくのことです。あるとき、富士道場のロビーにいると、当時五歳のウマー・パールヴァティー・アーチャリー正大師が、突然わたしの方に寄ってこられて、「お兄さん、嫌い!!」とおっしゃったのです。今まで周りから嫌われないように取り繕ってきたわたしにとつて、この一言は大きなショックでした。これだけはっきり言われたのは、初めてでした。それ以来、正大師を見かけるたびにわたしの心は緊張し、また何かを言われないようにさっと目をそらし、なるべく近づかないようになりました。
 正大師があのような態度を取られるということは、わたしの中に、そのように言われなければならない要素があるからなのです。おそらく正大師は、わたしの、周りから嫌われないように取り繕う、自己保全の心の働きを壊そうとされたのではないかと思います。しかし、そのときわたしは、自分の心を見つめようなどとはみじんも思いませんでした。
 正大師に限らず、万事がこの調子でした。自分の欠点を指摘するステージの高い鋭い人を、わたしは知らず知らず避けていたのです。その最たる存在が尊師でした。
 わたしは、尊師を心のどこかで恐れていました。尊師の説法では、グルの意思と自分はズレていないかと心配し、そのためにグルを恐れるコーザルレベルの帰依というものが説かれていますが、それとはちょうど正反対でした。つまり、自分のやりたいと思っていることが、ズレているということが薄々わかっている。けれど、それがグルに見つかれば、阻止され、怒られる。だから恐れているのです。実際は、その「やりたいこと」に執着しているのですが、それがために自分が苦しんでいるんだということを指摘されたくなかったのです。
 このようなグルに対する認識が、わたしの修行を進めるプロセスにおいて大きな妨げになっていたことは言うまでもありません。
●印刷工場での悪戦苦闘
 わたしは出家して、SIS(印刷班)に配属になりました。
 印刷工場を立ち上げることになり、工場が作られ、多くの機械が運び込まれました。環境は整い、あとは印刷物ができ上がっていくのを待つばかりとなりました。しかし、悪戦苦闘はそこから始まったのです。
 わたしは輪転機を担当することになりました。これは、直径一メートル以上あるロール紙を付け、版を四枚付け、インクと水を調整し、一分間に三百枚印刷して折るというものです。  この機械は十七、八年前の中古品で、すべてを職人の感覚で調整しなければなりません。プロになるのに、優に四、五年はかかりそうな機械でした。
 インクと水のバランスで印刷するので、インクを出し過ぎたり、水が少なかったりすると、見る見る紙は真っ黒になってしまいます。その逆だと、インクがのらず、しまいには紙がちぎれます。そうすると、また一からやり直し。ロール紙の紙を機械の中へ、十メートルもの道のりを上へ下へと通していかなくてはなりません。そして、始動し速度を上げる。
しかし、ちよっと気を抜くと紙が切れ、ローラーにぐるぐる巻き付いてしまう。それをはがすのに、インクでベトベトになる。汗をふくたびに顔は真っ黒、服もインクだらけでした。
 その当時、「わたしの皮膚の色は、このくらいの黒さだ」と思い込んでいましたが、たまにゆっくり風呂に入って真剣に体を洗うと、「病気にでもなったのだろうか」と思うほど白い肌が現われ、驚くことがあったほどです。
 インクと水の調整は困難を極め、二万部刷れるはずのロール紙は「やれ汚れだ、やれインクがのっていない」という具合で次々と無駄に消えていき、あっという間に芯だけになりました。あくせく働いた結果残ったものは、うずたかく積まれたヤレ(失敗作)の山と焦燥感、そして疲労でした。そのときはまさに「気が遠くなる」といった表現がぴったりで、意識は薄れ、そのヤレの山にうずくまって休みました。それは寝るというよりも、まさに崩れ落ちるという表現がぴったりでした。しかし、二時間もするとまた元気になり、「やるぞ!」という気力がわいてきました。
 そこに有形無形の尊師のエンパワーメントがあったことは、今から思うと明らかでした。尊師から送られてくるエネルギーによってわたしの体は支えられ、極限のワークによる大きな功徳を積ませていただくことができたのだと思います。そうして、やがて成功品半分、ヤレ半分になり、最後にはヤレはほとんどなくなりました。
 「よくやった」−−尊師はわたしに褒め言葉をかけてくださいました。しかし、わたしは内心、「尊師、何を大げさな。わたしが本気を出せば、このくらい簡単ですよ」と、自分の力を信じて疑いませんでした。グルのお力も知らず、グルに対する感謝の気持ちもそこにはありませんでした。これほどの苦心の末の成功であったにもかかわらずです。もし尊師からのエンパワーメントがなかったとしたら、どんな結果になっていたかわからなかったのに、この時点のわたしにば、全く謙虚さが見られませんでした。

●心が止まった−−与えられたラージャ・ヨーガの成就
 八九年十一月、「二百名の成就者を今年中に出す」という、尊師の力強いお言葉に、道場はにわかに活気づきました。そして、わたしも十二月、成就の修行に入れていただいたのです。尊師の檄の飛ぶ中、クンバカをしていると、三グナの中のタマスがすぐに見え出し、集中しているとサットヴァが見え出しました。しかし、ラジャスがなかなか見えずに奮闘していました。
 そしてあるとき、それまで痛かった蓮華座の痛みを忘れ、心も休も完全にリラックスした状態になったとき、暗いながらも最後のラジャスが見えました。そして、目を開けてわたしは驚きました。何と世界が止まっているではありませんか。
 「あっ、世界が止まりよった」−−確かに、みんな相変わらず修行しているのですが、以前とは違い、すべてのものが色鮮やかに、そしてはっきりとわたしの目に映り、道場は透明で光にあふれているように見えました。これは世界が止まったのではなく、わたしの心が止まったのだと、間もなくわかってきたのです。
 出家して九カ月、ラージャ・ヨーガの成就をさせていただきました。


◆深まる自己認識

 師のワークに懸ける情熱は、並々ならぬものがあった。しかし、その情熱は、師の持つ煩悩の一つである傲慢さの一つの現われだった。やがて、修行に行き詰まり、山のようなワークに疲れ果てた師の心の中に、初めて真理の光が射し込んだ。そこで悟ったものは、ステージの本当の意味合いであった。

●とどまることなき傲慢さ
 ラージャ・ヨーガの成就を与えてくださったグルの愛をほとんど思うことなく、わたしはそれを当然のことのように考え、半分は自分の力で成し遂げたと考えていました。そして、ラージャ・ヨーガ止まりであったことに若干の不満を覚えたわたしは、一刻も早く、次のクンダリニー・ヨーガの成就を勝ち取るべく、ワークに一生懸命打ち込むようになりました。
 わたしは小さいころから、自分には無限の可能性があると思っていました。しかし、その反面、それを周りに出し過ぎると、周りから羨望のまなざしで見られて不和を起こすと考えていたのです。ですから、それを恐れるがあまり、できるだけ自分の力を隠すようにしていました。それゆえ、本気を出したら何でもできると思っていて、「もしわたしが本気を出したら、地球はどのようになってしまうのだろう」とさえ思っていたのです。この性格は、よく大学時代に友達から、「根拠のない自信」とからかわれていたものでした。
 このような思いは、ワークで結果を出すたびに、自分の内側でより強い確信に変わり、「自分は本気を出したら、クンダリニー・ヨーガでもマハームドラーでも成就できるんだ。まだ成就していないのは、尊師のマハームドラーに違いない」と思っていました。ここまで来たら、半分魔境です。一緒にワークをしていて、先に成就したA師に対しては、“お供物を配る人”、B師に関しては“ワークの指示書を書く人”、マハームドラー直前といわれているC師に関しても、「確かにワークはよくできるけれど、わたしの敵じゃない」と思っていました。「オウムのSISは、わたしが背負って立っているんだ」と、わたしの傲慢さはとどまるところを知りませんでした。
 SISのワークは、締め切りが絶対でした。編集・デザイン・製版・印刷・製本と、各工程の遅れを取り戻すため、一分一秒を争って、絶えず時間に追われなくてはなりません。その中で、心は絶えず揺れ動いていました。そのストレスは、周りに対する怒り・批判として発散されていました、しかし当時は、「その心の働きは、締め切りに間に合わせるために必要なことである」と考えていたので、わたしの中では正当化され、悪業だとは思ってもみませんでした。
 機械がよく故障していたのですが、それが自分の心の働きによるものだとはなかなか納得できませんでした。たとえ納得していたとしても、どこか深い意識では、いつも言い訳をしていたのです。様々なトラブルは、「なしたことしか返ってこない」というカルマの法則を教えてくれようとしていたわけですが、迫りくる期限の中で事後処理に追われ、その原因である心の働きを見つめている余裕がありませんでした。焦りといら立ちの中の作業で、散らばった印刷物−−尊師の写真が載ったもの−−を踏み付けていることに気付かなかったことさえ、度々ありました。
 そんな中、同期のサマナはどんどん成就していきました。それを見てわたしは、「なぜ自分は極厳修行に入れてもらえないんだろう」と少し不思議に思っていました。意志の力で確実に締め切りに間に合わせ、功徳を積んでいると思っていたからです。自分が修行に入るとワークが滞るので、遅らされているだけだと思ってみたりもしました。けれども、四十名の成就者を必ず出すと言われたとき、わたしはその候補にも上がらなかったのです。

●わたしの極限修行
 秘儀瞑想によって成就者が続出し、後輩サマナにも追い抜かれていく状況で、わたしに与えられた、尊師からの修行上のご指示は、「基礎的なものを固めるように」。あとにも先にもこの一言だけでした。その言葉をよく吟味もせず、実践しなかったわたしの目の前には、山のようなワークが待っていました。
 相次ぐ出版ラッシュをこなす中、次第に疲れ果て、ついに精も魂も尽き果ててしまいました。わたしは機械の間に身を隠し、二十四時間以上横たわり続けたのでした。手を十センチ動かすのもしんどいのです。
 自分の無限の可能性を信じてきたわたしにとつて、これはショックでした。このくたびれた状況の中で、わたしの心はやっとエゴの重い扉を開け、深い意識に入っていきました。そして、ようやく自己の内側に、真理の光が少し入ってきたのです。
 その光によって、あるものが見えてきました。それは、師の人のステージの高さに対する本当の理解でした。自分の能力に対する過度の信頼による偏った見方から解放された状態でよく見てみると、何一つと言っていいほど、勝っていたものはなかったのです。心の寂静、クンバカの長さ、法則の理解度、他心通、グルに対する集中度、供養の心、正語の実践、謙虚さ、加行の進行具合、神秘体験、その他、基準を真理の実践において冷静に見てみると、すべて師の方々の方が勝っていました。
 わたしは今まで何を基準にステージを測っていたのでしょうか。極限のワークによってやっと得たものは、エゴが疲れ果てたということです。そして、それが影を引っ込めたところに、グルの光は届いたのです。その光によって初めて真理の目が見開かれ、グルのステージに対する基準を理解できたように思いました。
 このようにいろいろと証智が進んだという点で、ワークそれ自体が、わたしの“極厳修行”と言えるものでした。
 その後は、目の前にあるワークと、立位礼拝、十一月特別決意、グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーション、教学と基礎的な修行を、焦らずこつこつと続けていきました。
 そんなある日、五大エレメントのイニシエーションが行なわれました。このとき、尊師が、「スサーラダ、ひょっとすると、クンダリニー・ヨーガを成就するかもしれないなあ」とおっしゃいました。「ひょっとしたらじゃなく、必ず成就するんだ」と思っていたわたしは、少し不服ではありましたが、ようやく成就の兆しが見えてきて、内心は喜びました。
 「基礎的なものを固めるように」当時のわたしは気が付きませんでしたが、やはりグルは、わたしにとって最も的確なアドバイスを与えてくださっていたんだなと、今になって思うのです。

●巨大戦艦
 次にわたしを待ち構えていたのは、新たなプロジェクトのワークでした。それは、新聞輪転機の立ち上げでした。大阪の新聞社にある八百トンの印刷機を分解し、トラックで運び、組み上げるのです。後に、これに関わった者二十名近くがクンダリニー・ヨーガの成就を与えられることになったこのワークで、わたしも功徳を積ませていただくことになったのです。
 建物三階分の大きさに相当する機械は、巨大戦艦そのものでした。これが立ち上がれば、一時間に十二万部の真理の新聞を刷ることができるという、まさに大乗の船だったのです。G正悟師を先頭に作業する我々SISのメンバーは、いつも油とインクとほこりで黒光りしていました。尊師直々のミーティング指導のもと、全員が一致団結していて、服の汚れはむしろ勲章になっていました。
 わたしのワークは、十トンくらいの部品一つ一つの四カ所を、それぞれクレーンで釣り上げ、それを組み立て場所に持っていくというものでした。二階を組むときになると、クレーンはかなり高くまで上昇し、まるでUFOに乗っているようでした。「ワイヤーが切れたら確実に死ぬな」と覚悟を決め、「いっせいの、せっ!」とみんなが呼吸を合わせてボタンを押す−−。チームワークの乱れは死を意味するため、一瞬たりとも気を緩めることができません。
 このとき、頼るのは尊師しかありませんでした。「我々の呼吸が乱れることなく、どうか目的地まで運んでください」−−普段あまり尊師を意識できてないわたしも、苦しいとき、自分の力でどうにもならないときだけは、自然に尊師に集中します。
 もう一つのワークは、ボルト締めでした。 新しい機械を上に乗せたら、それをボルトで全体に固定するのです。一メートルもあるようなスパナをパイプで延長して、三人掛かりで締め上げる。狭い機械の間に入って行き、ボートのオールを漕ぐように全身に力を入れる。手抜きは、これも機械が壊れることを意味するため、三人とも全力でした。その三人はいずれも師になりました。我々の衣服は機械を掃除する雑巾のようでした。
 ふと気が付くと尊師が来られ、機械に触れ、修法してくださっていました。そして建物の柱にも同じように……。機械が無事組み上がったのは、グルの祝福のたまものでした。
 この大きなワークを通じて、わたしはやっとグルを意識することができるようになったのでした。そして、グルの偉大さとグルを意識することの素晴らしさが理解できるようになったのです。


◆クンダリニー・ヨーガの成就を与えられて
 クンダリニー・ヨーガの成就のためのイニシエーションで、ボーディーサットヴァのタイトルが与えられた師は、その後に来る潜在意識の解放に翻弄されることになる。
 しかし、ここでの自己のけがれの証智の経験は、師の心の成熟を促すことになった。
 そして・やがて師の生来の傲慢は大きく刈り取られ、真の修行者が持つ要素である「謙虚さ」が芽生えることになった。

●尊師はマハー・ニルヴァーナそのもの
 組み上がった輪転機で刷られる新聞は、『世紀末ニュース』と名付けられました。
 その後、キーレーンや尊師の予言などをテーマに『世紀末ニュース』は次々と発行され、信徒・サマナを通して、多くの一般の人々に配布されていきました。そして約一年後、尊師から特別なイニシエーションを受けたのです。エネルギーが上昇し、気が付くとあっという間に何十生も経験し、意識のスピードは速くなり、自分を束縛していた壁がなくなりました。中学生のときからずっと窮屈に思っていた自我意識から解放されたのです。
 「これはすごい」とわたしは畳を叩いて喜びました。いつしか、わたしは光り輝く球体になっていました。周りのみんなも光り輝く球体でした。「なんだ、わたしは光り輝く意識体だったんだ。周りのみんなも光り輝く意識体だったんだ」。
 光り輝くわたしは、さらに上へ上へと上昇していきました。周りのみんなも上昇していきました。
そして、その先には、とてつもなく大きな光の海が広がっていたのです。わたしは「尊師!」と直感的に感じました。その中に吸い込まれるように入ると、そこは何の欲求もわいてこない、すべてが完全に満たされた世界でした。周りのみんなもそこに存在しているのがわかりました。そして、みんな溶け合っていました。
「これって、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のマハー・ニルヴァーナじゃないだろうか。もし、そうだとすると、尊師イコールマハー・ニルヴァーナということじゃないか。そうか、尊師はマハー・ニルヴァーナだったんだ!」
 考えてみれば、確かに尊師は最高の意識、マハー・ニルヴァーナのシヴァ大神の変化身であられるのですが、その片鱗をまさに体感することができたのでした。そうすると、続いてひらめきました。「ということは、救済というのは、みんなをマハー・ニルヴァーナである尊師のもとに連れてくることじゃないか。ようし、元の世界に戻って、みんなを尊師のもとに連れてくるぞ」−−そして、わたしはその至福の世界から飛び出し、現実といわれる世界に戻ってきたのでした。

●クンダリニー・ヨーガの成就−−あこがれの菩師になって
 このイニシエーションのあと、尊師から待望のボーディサットヴァ(菩師)のタイトルを与えられました(しかし、それはわたしがボーディサットヴァにあこがれ、ようやくそれを目指して第一歩を歩み始めたということでしたが……)。
 初め、わたしは全然成就したという実感がありませんでした。しかし、周りの反応が違うのです。わたしは以前と同じようにワークの指示を出しているつもりなのです。しかし、それに少しでも怒りが入っていると、相手は猛然と怒り返してくるのです。今生周りとの友人関係が表面上円満で、ケンカなども中学生以降ほとんどしていなかったわたしは、いつもの五倍とも十倍とも言える相手の怒りの反応に戸惑いました。これは、成就によってグルとのパイプが太くなり、そのエネルギーが五倍にも十倍にもなっていたためだと思います。そのうち、途中で「まずいまずい。このままだと、またすぐカルマが返ってくる」と冷や汗が流れるようになりました。そしてしまいには、怒りの感情がわいた途端、静止するようになりました。
 そのうちに、エネルギーの回復力の違いに気が付きました。たいていのエネルギーのロスは、少し一人で寝ると回復しているのです。放っておくと、エネルギーが自然に上昇し、ナーディーのけがれを浄化するのです。蓮華座も自然と長く組めるようになっていました。
 グルはわたしに“魂の進化”を与えてくださったのでした。今思えば傲慢であったわたしを、粘り強くクンダリニー・ヨーガの成就まで導いてくださったグルの愛に、非常に感謝しています。それとともに、魂に“進化”を経験させることができるという、わたしたちには計り知れないお力を、グルは持っておられるんだということを改めて認識しました。そして、この認識は、帰依を培う上での大きな糧となったのです。
 成就は、わたしの五蘊に大きな変化をもたらしました。潜在意識のデータが現象化しやすくなったのは、先ほども言ったとおりです。表層意識でそれを止めようとしても、コントロールできないほどなのです。これは、本来なら長期の極厳修行によって落ちるはずのカルマが落ちきっていなかったため、潜在的に眠っていたデータがグルからの強い光に照らし出され、この現象界に映し出されたものだと思います。したがって、わたしの心の成熟は、成就後のいろいろな現象を見つめることによって、自己の内側のけがれを証智していくというプロセスを経て、得ていくことになりました。

●絶対に目をそらさない
 九六年夏、セミナーが開かれると決まったとき、わたしは一つの決意をしていました。それは「アジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー正大師と目が合っても、絶対に目をそらさない」というものでした。この、「正大師から逃げない」ということは、いよいよわたしが自己のけがれを正面切って見つめ、闘って破壊する意思の表われでもありました(そのときわたしは、そのけがれに気付いてさえいませんでしたが)。
 セミナーを通して正大師に指摘されたことは、「スサーラダ師って本当に傲慢だね」ということでした。しかし、それはわたしにとっては思ってもみなかったことで、ピンときませんでした。例えば、一時間ほど入出息をし続け、最後白銀のエネルギーが下腹部から上昇し、それがアナハタにぶつかった衝撃で気絶してしまったことがあったのですが、それがどういう心の働きによって生じた詰まりであるかも理解できていなかったのです。教義では明らかに、プライド・傲慢さから来るものであっても……です。
 そして、そのセミナーの後半、わたしはズレにズレました。しかし、その大きな原因が、無智から来る傲慢さによるものであることは、なかなか理解できませんでした。
 わたしの修行の動機は、「尊師のようになりたい」というものでした。それはいつか尊師のように、地平線まで広がるような光り輝く大きな魂になりたいというものでした。そして、いろいろな能力を付けていくうちに、そのくらい大きくなれるんだと思っていました。そういった意味で、尊師はわたしにとって目標であり、ライバルでもあったのです。
 あるとき、瞑想中に、わたしはあることに気付きました。前生のある生において、わたしは尊師との戦いに敗れ、そのときの尊師の愛を理解できなかったのです。そして、その際の無智さと悔しさ、そして恐れが、今の自分をグルから遠ざけているんだということがわかったのでした。
 わたしは自分の理想・アイデアは素晴らしいものだと思っていました。なぜなら、それはわたしが尊師と同等になっていくために、身に付けなければならないと思っていたものだったからです。したがって、それを阻止されること、間違いを指摘されること、これらは、わたしにとってはあってはならないことだったのです。わたしは、自分を膨らませていくことで、尊師と同じ大きさになろうとしていたのです。それは、色の付いたメガネを赤の次は青、青の次は緑と、どんどん色を増やしていって、いずれ透明になるんだと思い込んでいるようなものでした。色の付いたメガネを一つ一つ壊してこそ、透明なグルと同じになるんだということが、わかっていなかったのです。
 それがわかったとき、わたしはついに決意しました。
「今度尊師にお会いするときは、逃げないで必ず向かっていくんだ」と。すると、なぜか正悟師とまみえる機会が急に増えたのです。そして、正悟師の言葉の端々ににじみ出る、三宝に対する考えにより、「ああ、そういうふうには考えてもみなかったな」と、自分のけがれに気付かされる結果となりました。
 このように考えられるようになった土台は、懺悔の詞章をひたすら唱えたことです。そして、「周りのサマナの法則の理解を深めるお手伝いをしよぅ」という心の功徳、加えてバックボーンとしての教学によるところが大きいと思っています。


◆今後の抱負について

 子供のころから探し続けた道を、オウムの中に見いだした師。グルの発される無償の愛・真実の愛に感銘し、師もそのあとに続くべく、到達真智運命魂の道を歩く決意を新たにした。
●グルに向かって行くぞ
 高いステージに到達するためには、潜在意識や超潜在意識といった、大変深い意識レベルでの帰依が必要です。そこまで到達するには、まずしっかりとグルに対して功徳を積み、グルの心の光によって自己のけがれを照らし出していただき、グルの守護によってカルマを落とし、その壁を破っていく−−これを繰り返し繰り返し実践することが必要です。そして、表層意識から潜在意識へ、さらには超潜在意識へと帰依の心を深めていくわけです。それが深くなればなるほど、心の本性、光り輝くグルの世界に近づいていくのです。そして、最終的にすべてを放棄し、自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとすることができたとき、真のボーディサットヴァ、到達真智運命魂になれるんだと思います。
 あるとき、わたしはエネルギーをロスし、アナハタが詰まり、背中の筋肉が硬直し、苦しみながら寝ていました。少し目が覚めて気が付くと、尊師が親指をわたしの背中に当て、グリグリとエンパワーメントをしてくださっているではありませんか。「尊師、申し訳ありません。思えば、調子が悪くなったときはいつも、現象界では逃げようとするわたしに、知らぬ間にエンパワーメントをしてくださっていたんですね」−−深い意識で、このことに感謝の念が生じたわたしは、こう思いました。
「ようし!瞬間瞬間グルに向かっていくぞ。カルマ落としこそグルからの愛の印だと受け止めるぞ。そして、心の壁を打ち破るんだ。これこそが、迷妄に覆われたわたしの、偉大なるグルに対する感謝の印であり、帰依の証です」
 今わたしは、真智に到達するための、修行という道を、ようやく一歩踏み出したところです。この道こそ、子供のころから探し続けた道なのです。今その道に入ったという実感に喜びを 感じています。自と他の区別がなく、絶えず至福のグルと直結した世界、そのとき心は無限の広がりを持つでしょう。早くこの状態に到達すべく、より高い成就を目指して修行に励んでいきたいと思います。


◆信徒・サマナの皆さんへ

 「苦しみや悲しみはグルの愛である」と師は言う。グルの指し示す教えに対して素直になること、これが唯一自分を救う道である。師の体験から来る一言一言を大切にしたい。

●苦しみをグルの愛として
 最後に一言。愛欲を求めれば求めるほど、心は傷つきやすくなり、その傷つきやすい心を守るために壁をつくります。 壁の中で一人−−そこはより寂しくまた悲しいのです。そして、また慰めてくれるものを求め、愛欲にふける。プライドを修習し、性欲を満たし、食欲を満たしても、それは一瞬にすぎません。必ずその喜んだ分だけ、返済しなければなりません。しかし、カルマを落としたならば、必ず壁は破れます。
 グルの慈愛は、絶えずわたしたちに降り注いでいます。ただ、わたしたちの心のけがれによって、それがわからなくなっているだけなのです。自分で自分のナーディーを閉めているだけなのです。
 そこで、どこが詰まっているのかを教えてくれるのが苦しみであり、病であり、老いであります。そして、「あなたはここが詰まっていますよ。ここを浄化しましょうね」、このサインをグルからの大いなる印として受け取るなら、瞬間瞬間グルの愛を感じられるはずです。その苦しさ・寂しさ・痛み・虚しさという思いは、過去に自分が求めた愛欲・楽の裏返しとして存在しているんだと素直に認めることができるなら、そして、それを偉大なるグルに懺悔することができるなら、必ずやグルがそれを背負ってくださり、心は軽くなるのです。

●修行こそ四無量心の現われ
 今わたしたちは、のどの渇きに苦しみ水を求める砂漠の旅人のように、快楽を求め、愛情を求め続けています。そして、その裏にある苦しみに埋没し、気も狂わんばかりです。
 もし、感情を動かすすべてのものを、「自己のけがれ、“気”の狂い、ナーディーの詰まり、病である」と認めることができるなら、あとはその症状に対する薬を、妙薬である真理の法を処方すれば、その病から解放されます。そしてその薬は、最高の名医であるグルから、もうとっくの昔に与えられているのです。それを飲むか飲まないかは、わたしたちの自己に対する四無量心にかかっています。
 修行こそ、自己に対する四無量心の現われです。そのとき、自分の周りのすべての人が、そしてすべてのものが、自分の過去のカルマの現象化、心の現われ、まさに自分自身だと認識されます。そして、それを救済する思いがわき上がるのです。
 まさに自分と同じである皆さん、前生でなしたはずのグルとの約束を果たすため、今生での使命を果たすため、解脱に向かうことに専念しましょう。