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『覚醒の時』1998年03月号p123−p132


★愛欲天・チャーラー師……プロフィール

1990年7月7日、クンダリニー・ヨーガを成就。高校時代の友人であったウパーリ正悟師に導かれ、開祖・正大師・皇子方の近くで功徳を積み、子供のころから植えつけられた抑圧を一つ一つ乗り越えていく。現在、サマナの指導に当たっている。


聖者への歩み

内なる可能性と至高への目覚め




 人間は確実に進化する。修行の結果が無になることなどあり得ない。
グルの教えに導かれて・幾多もの苦難を乗り越え、成就に至った弟子たちは今でも相当数いる。
この多くの先達の存在は、解脱・悟りを目指す我々にとって大変心強い事実である。
過去のシッダたちが自ら教えを体現し、道を示したように、現代においても、成就者が教えを体現することによってグルの教えの正しさを証明してくれる。
「やったことは必ず結果として現われる」……これが先に到達した者の結輸である。
今・苦しみの中にあっても・壁にぶち当たっていても、いつかはそれを乗り越えた自分がそこにいる。
グルの教えを実践することができるなら、わたしたちは今日、ここで解脱を得ることが可能である。
そしてその道は、わたしたちの前に開かれている。




愛欲天・チャーラー師  
☆成就の軌跡とその後☆ 「心の解放への道筋」




★「本物、見つけた」


 道徳教育によって抑圧されて育ってきた師。心の中の葛藤・虚無感から来る苦しみは、師を運命的な出合いへと誘っていく。

……まず、入信に至るまでの経緯からお聞かせください。

 わたしは高校を卒業してから、父親の薦めによってモラロジーの会社に勤めました。モラロジーというのは、儒教に似ているもので道徳科学の研究を行なっている団体です。ここでの教えは、男性を立てることや目上の人を立てることが大切だとか、言葉遣いはこうしなければならないなど、道徳的な人間としてのしつけを大変重んじるものでした。
 わたしはこのような教育の中で、綺麗事にばかり気を使うようになっていきました。そしてとにかく称賛されるようになることがいいことなのだという思考になっていったのです。教育は大変厳しいものでした。本質的なことを考えると疑問だらけでしたが、口答えすることは許されず、わけもわからず心に圧力をかけ続けられ、従わさせられるというものでした。
 しかし今考えると、力に巻かれる、権力欲を背景とした思考にほかなりませんでした。そして、わたしは現代社会でいうところの「良い子」になっていきました。モラロジーの世界では、「●●●さんの娘さんは」 といろいろな所で両親とともに称賛を受けましたが、抑圧で生まれたわたしの心は、自由に自分を表現できず、よりいっそう抑圧状態になり、「自由というものがわたしにはない」と心の中で思い続けて苦しみました。社会に出てからは、この心の空しさを埋め合わせるため、物を買い集めるようになったのです。
 そのころ、高校時代の友人で、オウムに出家されていたウパーリ正悟師から、手紙が年四回ほど来ていました。中には『生死を超える』等の本も入っていました。しかし当時のわたしはモラロジーの影響を受けており、宗教は心の弱い人がやるものと思っていましたし、また親孝行を大切にする教えでしたので、ウパーリ正悟師が親を悲しませて出家したことを耳にしていたこともあって、オウムは間違っていると思っていました。ですから手紙は見ても、本を開くことはありませんでした。
 しかし、日常生活の中では、高校時代から引きずっていた心の葛藤がありましたし、毎日の生活に意義が見いだせずにいました。また、会社に入ってからは人間としての自由がなくなって、それがつらくて重苦しい日々を送っていました。生きていく上での不安感というものは差し迫ったものがありましたね。
 21歳のお正月に名古屋で高校の同窓会があったのですが、同窓会はもちろん、帰りの京都見物も心から楽しめず、殺伐としていました。そして生きていることに価値を見いだせずにいた、そのとき、ウパーリ正悟師(このときは師になられていた)から「福岡支部に来ないか」という誘いの電話が(あったのです。ちょうど時期だったと思うのですけど。何かにすがりたい気持ちでしたので、「とにかく行ってみる」ということで、初めて道場に行ったのでした。
 極めつけはA師の他心通で、「あなたはこうだからこうしなければならない」とずばりと指摘されたのです。そこで輪廻転生などの教えも説いてくださいぎした。それを聞くにつれ、「これはモラロジーを超えている。わたしもこの人たちの仲間になりたい」「こんな世界があるんだ。これからはこの人たちの世の中になっていかなくてはいけない」ということで、ひどく感動してすぐさま入会となったのです。これぞ本物、「見ーつけた」という感じでした。


★出家、そして成就へ

 1989年6月、師はそれまで勤めていた会社を退社、7月に出家し、7カ月後ラージャ・ヨーガの成就をされる。

……入信してすぐに出家されたのですよね。

 はい、入信して4カ月後に出家となりました。親に対しては、あきらめさせたという感じです。それまで親に対していい子で通してきたわたしですが、このときばかりは自分の意志を通したのです。わたしにはこの道しかないんだと本当に思っていましたので。ただ、このときに心が動じなかったのが自分でも不思議でしたね。

……出家されてからはどうでしたか。

 3日間の立位礼拝のあと研修があり、それから大阪支部、富士総本部の特総部と、いろいろなワークに就かせていただきました。その間で一時期でしたが皇子奉仕係のお手伝いに行かせていただいたことがありました。そこはわたしが今まで一度も経験したことのない世界でした。自分が培ってきた観念とのギャップが激しく、戸惑うことも多かったですね。怒られること度々で、もともと抑圧型のわたしはよりいっそう大きな緊張を強いられたものでした。そのときには、まさかわたしのこれからの中心となるワークがその「皇子奉仕係」になろうとは、夢にも思いませんでした。
 皇子奉仕係のワークに就いて悪戦苦闘していたあるとき、開祖が説法の中で大量の成就者を出すというふうに言われ、極厳修行が行なわれると聞きました。わたしもそれを聞いて、その中に選ばれたいというふうに強く思念して、それで極厳修行に入れていただいたのです。

……その修行はいかがでしたか。

 この極厳修行の前に、開祖とご家族がドイツに行っておられ、その期間修行するように言われていました。そこでの極限の立位礼拝はつらかったですね。ほんと泣きながらやっていました。どのようにしたらこの苦しみから逃れられるのか、そのことばかり考えていました。そのときは、修行監督もいなかったので、よくトイレにこもったり手を抜いたりもしました。こういった自分の中に弱さがあること自体苦しかったです。でもその期間にダルドリー・シッディが起こったんです。このときクンダリニーが覚醒していることをはっきり自覚しました。
 開祖がドイツから帰られて、大量の成就者を出すと言われた極厳修行が始まりました。わたしは、この直前の修行でダルドリーの経験が起きたために、始まってすぐに次の座ってする修行へと移ったのです。それはヴァヤヴィヤとアパンクリアでした。それからは蓮華座の苦しみが始まりました。わたしは信徒時代にまともに修行したことがなかったので、長時間座ることに慣れていなかったことと、心の弱さが出てきました。「ああ、今帰ったらクリスマス」「今帰ったらお正月、着物が着れる」「今帰ったらこの苦しみは味わわなくてすむ」と。この苦しみは絶対乗り越えなければならないプロセスとしてあるんですが、でもこんなに苦しいのであれば現世の方も選べるなという、その葛藤がつらかったです。
 あるとき、悲しみに打ちひしがれながら嘘っぱちのクンバカをやっていました。息を止めているふりをしていたんですね。その状態を、監督に来られていたA師に見抜かれて怒鳴られたんです。「そんなことでどうするんだ。その心の弱い状態にメスを入れなきゃ」って。それで心を持ち直して踏ん張ったんです。そうしたら、いろんな光が見え始めました。やがて太陽のような光が見え、また、クンバカ中にオレンジのエネルギーに包まれたのです。このオレンジはクンダリニーのエネルギーだそうです。霊的プロセスでは、「ラージャ・ヨーガよりもクンダリニー・ヨーガのプロセスに入っている」と言われました。
 こんなふうに、心の弱さを持ちながらも霊的体験は進んでいたのです。


★心の屈折が ジャンプ力となって

 師の心を苦しめた情、そして強い観念。しかしこれらは内側に大きなストレスを形成し、クンダリニーのジャンプ力へと昇華された。その背景にはグルの大いなる慈愛があったのである。

……クンダリニー・ヨーガに向けての過程はいかがでしたか。

 わたしは、出家してからの心の状態はすべてが情でした。開祖から「人間界の●●●さんだね」と言われ、ご家族を見ながら自分の家庭を思い出してはメソメソしていました。ラージャ・ヨーガを成就してからはその心の働きが若干は弱まったのですが、まだ強く持っていました。  ちょうど選挙が始まりまして、わたしは、狭いマンションの一室で皇子奉仕係をさせていただいていました。そのころのわたしは、いらだちのために心がはちきれそうで対応しかねる状態でした。奉仕も十分にできなくなり、「もういやだ」 と言って別の部屋に逃げ込みました。そこで閉じこもらされてしまったのです。
 そこで蓮華座を組んで「どうしよう」「ホントにどうしよう」と悩みました。そこで初めて自分を見つめることができたのです。そのとき劇的な心の変化を体験しました。エネルギーが音とともにボーンという感じでアナハタを突き抜けたのです。それと同時に、今までの弱い心の状態の自分が一切なくなってしまいました。「この世界はすごい、絶対的に信用できる」という思いが心からわき上がり、真理に対する信が強まりました。この心の変化があってすぐにドアが開き、ビックリしました。ニコニコした皇子方が立っていらっしゃったのです。それからは人間的なメソメソしていた状態が全くなくなってしまいました。あとから開祖に「チャーラーには人間界のカルマはない」と言われました。これはひたすらカルマを落とされたおかげです。実は、それから次の意識堕落天の闘争のカルマが吹き出してくるわけですが。
 クンダリニー・ヨーガの成就に向けての生活においては、わたしが現世で培った「口答えをせず、ただひたすら耐える」という姿勢は、大きく利益になりました。初めにもお話ししましたが、わたしの家庭では、小学校五・六年くらいから父親の本格的な教育が始まり、女性として人間としてこうあるべきという強い観念を植えつけられたのです。そして高校生のときには寮制ということもあって、モラロジーの教えにのっとった徹底的な教育を受けたのでした。それは有無を言わず言わせず、従い従わせる社会なのです。自分でもそういった姿勢を身につけなければならないと思っていたし、そうなろうと努力をしていました。しかしもう一方の感情として、先輩に対して、何が正しくて何が間違いであるかわからないのに、そういった教育をされることに対して反感を抱いていたことも事実です。
 自由に自分の心が打ち明けられない不自由さ。「この人は本当は何を考えているのだろう」と心の裏を察しながら会話しなくてはならない状況。これらが積もり積もって、早く卒業したいと心から思いました。この高校生活でプラスになったことはただ一つ、忍辱をしたことです。
 わたしはワークをさせていただく中で、こうした心の屈折や観念を強く持っていたがために何度も苦悩を経験しました。モラロジーでは子供は年上の者に従って当然だったので、目上の立場でしか物事が考えられませんでした。皇子から頼まれたことがあっても、マハーケイマ正大師やマイトレーヤ正大師の依頼があるとそちらの方を優先させたことが何度もあって、反射神経で目上の人が先という思考で動いてしまうのでした。「はい」と素直に従えず、常に口だけで表面上取り繕うことに精一杯でした。  こんな状態でしたから、何をやっても指摘されるという緊張と、何をやってもこの道では自分は認められないという大きなあせり、そして忙しさ。自分の考えとのギャップで常に邪悪心が生起していました。ストレスはピークに達していました。
 こんな状態で修行に臨めたのは、口答えをしないという経験の構成があったからだと自分では思っています。 「●●●さんが早く否定的な状態から抜けていけるのは、言葉において否定的なことを発さないからだね」……これは開祖から成就前に言っていただいたお言葉でした。胸の内を打ち明けるということは、決してだれにもしませんでした。というか、それができないほど固い心の状態だったことは間違いありません。“否定的なことを話さないこと”、それは法則の道において大切なことなのだということでした。
 また、クンダリニー・ヨーガの修行に入れていただく以前に開祖とお話をさせていただく機会がありました。お部屋に呼んでいただいたとき、開祖は、
「神秘的な体験を見ればクンダリニー・ヨーガとして判定を与えてもいいけれども、今のままでは『いい子』になっているだけだからね、●●●さんは。これでは君が苦しいだけだ。とにかく、わたしにすべてを任せなさい」 とおっしゃったのです。
 このお言葉で、わたしの魂が安心しました。生まれて始めて味わった安堵感だったように思います。開祖はすべてを見ていてくださっている。どんなにつらくてもこの方のもとでしか、幸せになることはできない。そう思うようになりました。


……それからクンダリニー・ヨーガの修行に入られたのですね。

 はい、当時は2人で皇子奉仕係をさせていただいていましたので、2人で交互に12時間のワーク、12時間の極厳修行というかたちでした。そのときのわたしの意識状態はひどいもので、
「ワークをやりながら成就なんてできるはずもないし、わたしが常にイライラしているのを解消させるためのものだろう。なるべくワークで疲れをとるようにしよう。もうどうでもいいけど、とにかく疲れた。ゆっくり寝たい」 というものでした。実際、それまで3時間だった睡眠時間が2時間に減らされていましたので、それを知ったときには「たまったもんじゃない」と怒りしかわいてきませんでした。
 こんな調子でしたから、12時間の立位礼拝は本当につらいものがありました。体中痛いし、声は出ないし、喉は腫れるし……。修行中はどうやって手を抜こうかばかりを考え、逃げを完壁に肯定していました。そして、ワーク中に開祖から呼び出しを受けて、強く叱られたのです。
「お前は何をやっているんだ。どうしてまじめにやらないんだ。常に手を抜くことばかりを考えて……。自分の煩悩を自分のものと思うな!」
 その日、わたしも成就させていただけるのだというグルのご意思を知ってから、「何をどう考えたらいいのか全くわからないけど、わたしを何とかしてください」という思いでがむしゃらに礼拝しました。全力で礼拝しました。そして成就させていただいたわけです。

……成就のときの体験はどうでしたか。

 光の体験があったのですが、ラージャ・ヨーガでは一瞬だったのが、そのときはより強烈な光を長い時間経験しました。とてもまぶしい光でした。そのときの精神状態はとにかく集中し続けていましたね。
 ただ心の変化については、成就と判定される前後でどう変わったか自分ではよくわかりませんでしたが、日々の生活を振り返ると、少しずつ少しずつ強くなっていったプロセスは自分でも納得していました。日々「頑張るぞ頑張るぞ」と、下向の意識を絶対出さないように、投げやりにならないようになっていったのには、自分でもこのような神聖な意識が生じていると喜んだものでした。それから、もう心の弱さから泣くようなことはながなっていたのも確かです。
 このクンダリニー・ヨーガの成就を与えていただけたのも、日々のワークがわたしにとつてはすでに極限状態であったこと、そして先程も申しましたように、内側のストレスを外に漏らすことなく(実際話をする相手もおらず、時間的余裕も全くなかった)、悶々としながらも耐えていたことがよかったのではないかと思っています。3時間の睡眠で功徳を積ませていただけたことは、やはり信がなければ続けることはできなかったでしょう。エネルギーはそれによって本当に強くなっていきました。わたしの魂の進化にとって、本当に幸運な環境を与えていただけたと思っています。成就後は、このワークを頑張ることによって救済が成功しますようにと、救済のことを考えることができるようになっていきました。

★進む心のプロセス

 修行者はクンダリニー・ヨーガの成就の後、本格的な潜在意識の浄化の過程に入る。マハームドラーへの道は険しく長い。師も成就されてから今までにない大きな心の揺れを何度も経験することになる。しかしそれは次のステップに向けて大きく飛躍するときでもあるのだ。

……クンダリニー・ヨーガを成就されてからは、いかがでしたか。

 一言で言えば波乱でしたね。本当にどん底を経験しました。クンダリニー・ヨーガを成就させていただいて、先程言った神聖な意識状態が出てきたとはいうものの、まだまだ根本的な要素として無智と心の固い状態から解放されているわけではありませんでした。そしてそれを潜在意識の深い部分からそぎ落とすという、グルのマハームドラーは、わたしにとっては大変きついものがありました。
 その中で特に身にしみて感じたことは、本当にグルは、弟子の潜在意識・超潜在意識を熟知されているのだなということです。例えばわたしが、表層で「こうすべきなんだ」と納得してある行為を行なったとしても、グルはわたしの潜在意識を見ていて、そこにけがれがあることを強く指摘されました。このときの経験で学ばせていただいたことは、潜在意識と表層意識の間には大きなズレがあるということです。それからは、自分の今生起している感情や心の働きはどの煩悩に対応しているのか、しっかり観察するようになりました。
 それから、96年には最も大きく心が変わる経験をさせていただきました。そのときは、自分ではもうないと思っていた屈折がまた大きく出てきたのです。師としての劣等感が出て苦しんでいたのですが、それは、自己保全によって自分で自分を狭い箱の中に閉じこめていたにすぎず、そして、それがわたしの心の屈折の原因だったということがはっきり理解できたのです。
 それから心が一変しました。大きな勇気が心の中にありました。これから救済に燃えるんだという強い思いがわいてきて、今まで心の弱さから言えなかったことも、救済のためには言わなくてはいけないと思えるようになったのです。このときの心の変化がわたしの人生の中では一番大きかったです。心の深い部分から変わったように思います。


★グルを目標として

 成就はその魂に二つの点で大きな恩恵を与える。一つは長所が増大することであり、もう一つは短所が克服されていくことである。完全なるグル、絶対なるグルを最終の目標とし、師の修行の道は続く。

……今までのことを振り返って、修行の暮らしさ、成就の素晴らしさについてお話ししていただけますか。

 心が強くなる、意志の力も強くなるというのがまず挙げられますが、もう一つ他の人のことを真剣に考えることができるようになるということが素晴らしいと思います。本質的に他人のことに意識を向けなければ自分の幸せにはつながりませんよね。そしてこの道を歩くのは、グルなしでは絶対にできないし、この道の中にいさせていただけるということは自負できることではないでしょうか。また、成就をすれば、この法則の道が、凡夫の生活とは比べものにならないということがはっきりわかるということも素晴らしいことだと思います。
 また、わたしの場合女性ですが、女性特有の依存心からの脱却という点についても、自分の弱い点を克服しようという積極的な心が出てきますので大きなメリットだと思います。今まで直感的に処理していた事柄でも、根本的にその原理を考え理解していこうというように変わってきました。開祖はあらゆることに長けていますよね。つまり、自分も開祖のような救済者になることをを目指しているのですから、苦手な分野についても、逃げないで一個一個認識していくプロセスが大切になってくるわけです。わたし自身この姿勢を続けることで、自分は劣っているという意識から来る焦りや卑屈さを克服していけるのではないかと考えています。
 霊的な部分でいえば、相手の心の働きがわたしのチァクラに感応して、より正確に相手のことがわかるようになりました。これはモスクワで信徒対応をするようになって気づいたことですが、信徒さんの状態を見るときに、本当に相手の状態がわたしの中に映し出されているのかどうか確認するために、別の師の方にそばについていただいたことがありました。そのとき、わたしの認識とその師の方の認識とが全く同じでした。そのときに初めて自分にそういう力がついてきていることに気づきました。そして、サマナの状態を把握するときにもこの力は大変役に立ちました。例えば相手の表面上出てきている煩悩だけでなくその奥にある根本的な引っかかりにまで認識が及ぶようになり、そのサマナに適切な指導ができたということです。  それと、カルマを受けるつらさも知りました。こんなにダイレクトにエネルギーが入れ替わってしまうものなのかとびっくりしました。支部で活躍されている師の方には当たり前のことなのでしょうが。「カルマを受けても頓着しない方がいいよ」という高弟の方の説法があったのですが、その意味がわかりました。そして、カルマを受けてもそのつらさを言葉に出さずにいれば乗り越えられるんだと、やがて体験的に理解できるようになりました。

……今後の抱負について一言お願いします。

 今現在は、常に三つの慢(卑屈・闘争・満足)の中に、自分を置かないように心がけなければと思っています。昨年の暮れに10日間の修行に入れていただいたのですが、そのときに気づいたこと ……それは出家というのは神聖行なのだということです。何よりも厳しい道。苦しくて当然なのだと。なさなければならないことを決意し、コツコツと結果が出るまで努力し続けなくては、そして修行とはそれがすべてなのだということに気づきました。そしてその道をわたしたちが歩くことができるのは、グルがいらっしゃるからにほかなりません。グルを意識することをしなければ、わたしたちの心の成熟はないし、正しい法則の理解はないし、救済活動の成功もありません。わたしもこのことを心に留めて日々努力し続けたいと思います。

★グルであって 父親ではない  師はワーク上開祖や皇子方のおそばにいらした。そしてそこで目にされたものは最も厳しいグルと弟子の関係であった。

……師は、ワーク上開祖のおそばにいらしたわけですが、いかがでしたか。

 わたしは、個人的には、開祖とお話をする機会はそんなに多くはなかったのですが、開祖が皇子方を教育されているお姿を拝見いたしまして、よりいっそう倍は強まっていきました。それはもう生半可なものではなかったです。例えば、少しでも功徳を減らしているようなことがあれば絶対に許されない。戒律にしてもそうですが、子供だからといって法則違反は絶対許されなかったですね。そして、厳しく罰を与えるわけですが、たとえ罰を与えた……としてもあとでは大きな優しさで包まれる。だから、父親じゃないんだなって思いました。最も身近だから最も厳しく法則を実践させようとなさるグルの弟子に対するお姿でした。
 わたしが皇子奉仕係をさせていただいて、どんどんどんどん気を引き締めていったのは、開祖がお子さまを育てるに当たっての厳しさを見てきたからこそで、「わたしも甘えているわけにはいかない」ということで自分に鞭を打つことができたわけです。法則の道って甘いものではないんだなって身にしみて感じることができました。

★厳しく法則の実践を

 師は出家されて以来、紆余曲折の中で様々な苦悩を経験された。そこで師が学ばれたもの、それは厳しく法則を実践することの大切さであった。

……最後にサマナや信徒さんに対して一言アドバイスを。

 人間のカルマが切れるまでは、わたしたちはたとえ悪業を積んだとしても生きていられます。善業悪業ともに、すぐにはわたしたちの身に影響を及ぼしませんね。ですから特に悪業に関しては往々にして野放しになりがちです。しかし、その一個一個の善業悪業は確実に結果を出すんだということを認識してください。例えば、わたしたちが天界に行ったとして、そこで邪悪な心を持っただけで、あるいは悪口を一言言っただけでストーンと落ちてしまう。つまり、わたしたちは天界での生活を一瞬にして崩壊させるような行為を日々平然と積み重ねていっているわけです。ですから、できるだけ厳しく法則を実践していただきたいと思います。それこそが本当の意味でわたしたちの心を自由にし、楽にし、周りの縁ある人たちを幸福にしていくただ一つの道であることを考えていただきたいと思います。頑張ってください。

……どうもありがとうございました。