わたしたちのグル

鏡暉リンポチェ猊下・璽暉リンポチェ猊下




【体験談】

鏡暉を中心とした子どもたちを、わたしと観想してください。それによって、わたしがどこにいようとも、あなた方の霊的な道筋は確保されるでしょう。


 幼少であられるけれど偉大な、わたしたちのグル、鏡暉リンポチェ猊下・璽暉リンポチェ猊下。お二方がわたしたちを導いてくださるかけがえのない魂であられることは、猊下方が教祖となられてわずか一年あまりの間に、多くの修行者が感じています。
 今回、皆さんに猊下方に関する体験談を募集したところ、短期間だったにもかかわらず、猊下方の魅力や偉大さ、空間を超えてわたしたちを見守ってくださっているということを確信することができるような体験がたくさん寄せられました。
 そこで、ここでは猊下方に直接お会いしたときの体験だけではなく、猊下方を観想することで恩恵を受けたり、夢でエンパワーメントしていただいた経験も含めて、猊下方によってもたらされている恩恵を示すような体験談をご紹介しましょう。


◆瞬問的にプラーナが頭頂に

 昨年のことです。第六サティアンで立位礼拝をしている最中に、鏡暉リンポチェ猊下がアジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー正大師とご一緒に、不意にやってこられました。このとき、瞬間的にプラーナが頭頂に集まり、気持ちいい状態になりました。その感覚が、開祖麻原尊師にお会いしたときにいつも起きる現象と同じだったので、「ああ、尊師と同じだなあ……」と思いました。そのときは、立位礼拝をしても何の苦も感じない状態になり、驚きました。
 同じく、第六サティアンで、両リンポチェ猊下が修法してくださった果物を供養させていただく機会がありました。このお供物を口に入れた途端に、ものすごいクンダリニーのエネルギーが吹き上げ、そのとき、かなり詰まっていたアナハタ・チャクラの部分にガンガン、エネルギーがぶつかり、ついには、詰まりがぶちっといった感じで取れて、頭頂までエネルギーが上がり、自然と甘露が落ちました。  この二つの体験から、両リンポチェ猊下は、やはり最終解脱なさっている計り知れないステージのお方だと感じました。わたしは、なかなかリンポチェ猊下を意識することができなかったのですが、それからは、時々夢の中でお会いできるようになり、エンパワーメントしていただけることがありました。そのとき、夢の中で、抱かせていただくことが多いのですが、特に、璽暉リンポチェ猊下を抱かせていただいたとき、電気ショックのような、強烈なエネルギー移入をしてくださったことが印象に残っています。
(ユッダチッテーナ・サッチャ・ヴァーヤーマ・パダーナ)



◆供養によって歓喜状態に

 昨年の冬のことです。わたしは猊下方のビデオの撮影に参加させていただく機会に恵まれました。そのときに、わたしはあるものを猊下方に供養させていただきたいと思い、(この時期には手に入りにくいものだったのですが)何軒か店を回って、何とか手に入れることができました。
 その後、猊下方のご自宅に伺ったのですが、残念ながらその日は撮影させていただくことができませんでした。しかし、東京に帰る直前に鏡暉リンポチェ猊下と璽暉リンポチェ猊下に、手に入れたものを直接手渡しで供養させていただくという大変な幸運に恵まれたのです。
 猊下方がそれを手にされた瞬間、わたしの中で大変な歓喜が生じました。猊下方は大変喜ばれたご様子でしたが、ご自分でそれをすぐに使われようとはせず、まず神々に捧げるため、すぐに修法室に持って行かれました。
 そして、その歓喜は帰りの車の中でもずっと続き、弱まるどころかさらに強くなっていくような感覚がありました。いつもわたしは苦労してグルを観想しているのですが、このときは自然にグル方の笑顔のイメージがわき上がってきてそれが頭から離れず、エネルギーは上昇しっぱなし、そのため歓喜状態が続いて顔は笑いが止まらない、そんな状態が何時間も続いたのです。 
(シャイクシャ)



◆けがれを証智させていただいた

 わたしにとっての鏡暉リンポチェ猊下は、自己の修行を進めさせてくださる寛容で偉大な導き手という印象があります。鏡暉リンポチェ猊下によって、自己のいろいろなけがれを証智させていただくことができました。
 最初の鏡暉リンポチェ猊下との出会いは、93年に第二サティアンでの尊師の説法を撮影に行ったときです。ご家族もいらっしゃる中での説法も無事収録が終了し、機材の片づけを急いでいました。そのとき、「ごつん!」とだれかの頭に自分のひざがぶっかってしまいました。「あっ」と思って見ると知らない男の子が泣き始めたのです。なんとその方が鏡暉リンポチェ猊下でした。そのときは皇子を蹴ってしまったという罪悪感と同時にどうしたらいいかわからず、ただ「ごめんなさい。すみません」などと申し上げて困惑した意識のまま、その場を去りました。
 その2、3日後、ヤソーダラー正大師から電話がありました。それは次のような内容でした。わたしが鏡暉リンポチェ猊下の頭を蹴ってしまったあと、鏡暉リンポチェ猊下のご様子がおかしくなられたということでした。なんと女性にばかり近づくようになられたというのです。最後に正大師はおっしゃいました。「気をつけてくださいね」と。
 わたしは出家してからそれまで、異性にあまり気を取られたことがなかったので自分でも驚いたのですが、今考えると、内側にそういう要素があることを証智させていただいた最初の出来事でした。
 96年の夏のビデオの撮影の際にも、当日は普段話さない締語を話すなどの状態になり、撮影後も大変な状態になられたということをあとで聞きました。
 また、その年の終わりごろ、撮影の予定で二度ほどお目にかかる機会に恵まれたのですが、鏡暉リンポチェ猊下はいったんはOKされたものの、実際に収録を始める段階になると、一生懸命、涙を流しながらもずっと考えていらっしゃるのに、それでもお言葉が思い浮かばないとか、状態が悪くなられて後日に延期になるということが続き、いかに自己の内側に法則を求める気持ちがないか、日々の修行が足りず、けがれの浄化が遅れているかを痛切に教えていただいたのです。
 体をもって自己のけがれを証智させ、修行を進めてくださるという偉大なグルの姿を見せていただくことによって、申し訳ないという気持ちと同時に恩返しをしなければという気持ちで、現在修行に励んでいます。
       (メッターダッシン師)



◆強烈だったオウム三唱

 96年10月、第六サティアン最後の式典のときのことです。そのときにわたしは初めてまともにリンポチェ猊下のお姿を拝見できました。尊師に実際にお会いしたときと同じような神聖な気持ちになったのを覚えています。「この方は本当にかけがえのない方なんだ」という思いが出てきて、ジーンと感動していました。
 中でも強烈だったのが、鏡暉リンポチェ猊下のオウム三唱です。「オー……」とおっしゃった瞬間に何かエネルギーの固まりのようなものが頭上にドカーンと落ちてくるような感覚がありました。こんな強烈なオウム三唱は初めてだったので、そのときわたしはびっくりしてしまいました。   (●●●●)



◆猊下方に帰依することの大切さを実感

 96年の夏、教祖交代のため、第六サティアンの祭壇にリンポチェ猊下方のお写真が飾られることになりました。わたしは開祖のお写真が祭壇から降ろされるということに対して戸惑い、悲しい思いに襲われていました。
 しかし実際にリンポチェ猊下方のお写真が祭壇に上げられたとき、わたしの心に喜びが生じ、自然に笑顔がこみ上げてきました。またお写真に意識を集中すると暖かい光の中に溶け込んでいくような感覚があり、心が安らぎ、広がっていき、幸福感に満たされました。それは開祖に意識を向けたときと非常に似ている……というか全く同じと言ってもいいような心地良い状態でした。その後もリンポチェ猊下方に意識を向けるたびにその状態が生じるようになりました。

 当時わたしは教祖交代の深遠な意味合いが理解できず、「わたしのグルは開祖お一人である」と考えていたため、なぜこういう現象が生じたのかがわからず「こんなことでいいのだろうか」と悩んでいたのですが、しばらくして師の方から「今はリンポチェ猊下方からサマナや信徒にエネルギーが注がれるようになっているから、しっかりリンポチェ猊下方を意識しないといけない」という話を聞き、教祖交代が形だけではないということと、リンポチェ猊下方に帰依することの大切さを実感しました。
            (スンダリー)



◆カルマを浄化していただいた

 去年の夏、精神的に限界を感じたわたしは、鏡暉リンポチェ猊下を観想して、「カルマを変えてください」と思わず思念しました。すると、一日もたたないうちにわたしは、二度と見ることができないと思った最後の富士道場での修行を、それも祭壇の真ん前で行なう機会に恵まれました。
 あまりにもスヴァディスターナ・チァクラで引っかかっていたので、「スヴァディスターナを浄化してください」と鏡暉リンポチェ猊下の肖像に向かってお願いしたら、三日連続でスヴァディスターナ・チァクラの浄化を象徴するような夢を見、四日目には立位礼拝をしているわたしの周りで雨漏りがあり、わたしの願いどおりのカルマの軽減を実感せずにはいられませんでした。
 今年になってからは猊下を観想して修行に関するお願いや決意などをすると、その方向に現象が動くのを実感しています。偉大なる完全なる絶対なるシヴァ大神の変化身であられるグル方の祝福に感謝致します。
(ラーガ・パハーナ・マヌッサローガ・ネッカンマ・サッガローカ・ジーヴィトゥカーマー)



◆弟子を見守り苦しみを取ってくださる

 リンポチェ猊下の夢や体験の中で、特にうれしかったものを二つお話しします。
 昨年、短期の修行に入ったときの体験です。そのときのわたしは、あることで悩んでいて、落ち込んだ気分でした。修行をしながらも心はそれにとらわれていて、とても暗い意識状態でした。わたしは猊下を強く観想しながら、「グル、どうしたらいいんでしょうか?」「グル、何とかしてください」と思っていました。
 その後、究竟の瞑想に入りました。わたしのアージュニァー・チァクラより少し上のあたりで、両猊下がとても楽しそうに声を立てて笑いながら(はしゃぎながら)グルグルと走り回られていました。その中でのわたしは、それを「あっ、猊下……」と思って、少し離れた所で見つめていました。
 すると、鏡暉リンポチェ猊下がピタリと足を止め、こちらを振り返り、わたしをしばらくじっと見つめられました。そして、「取ってあげるね」と、(これは言葉というよりもヴァイブレーションで伝わってきたのですが)言われたように感じました。「取ってあげる?」と、思ったとき、師の方に起こされてそこでヴィジョンは終わりました。しかし、その後、わたしはさっきまで悩んでいたことが嘘のように、すごく心が軽くなっていることに気づきました。「取ってあげる」というのは、このことだったのかな、と思って、とてもうれしく、とてもありがたく思いました。 もう一つは、支部のサマナ全員で修行をしたときのことです。その日の修行を終え、シャヴァアーサナの時間になりました。わたしは、座ったままで、シャヴァアーサナをとっているみんなを見つめていました。その日のわたしは、いつもワークで忙しいみんなが、こうして一緒に修行している姿を見て、なんだかとてもうれしい気持ちが心の底からわき上がってきていました。グル方はもちろんいつでもわたしたちを見守ってくださっているわけなのですが、そのときはすごく「こうしてみんなが思いきり修行できるって、本当に素晴らしいことですね!」と、そうお伝えしたいような気持ちでした。
 そういう気持ちのまま、いつしかわたしはうとうととしていました。そして、(ここからは夢なのか、ヴィジョンなのかわからないのですが)ふっと顔を上げたとき、祭壇前に、鏡暉リンポチェ猊下がいらっしゃったのです。そして、シャヴァアーサナをとっているサマナの顔を、一人一人順番にのぞきこんでいらっしゃるのでした。それは、一人一人の状態を観察していらっしゃるように見えました。ふと気がついたときに、「グル方はいつも、こうやってわたしたちのことを一人一人見てくださっているんだ」と思って、とてもうれしく思いました。
(プリサ・ラーガンドゥ・チダ・サッダン メーナ・パンニャッタヴァッダー)



◆猊下方を思念して光の世界へ

 昨年の九月の開祖の公判のときのことです。当時、わたしはまだ上九にいたので車でくじ引きに日比谷まで行きました。くじ引きの時間までまだ時間があったので、駐車場の車の中で待っていました。そして、少しうとうとし出して意識が眠りに入りかけたときだと思いますが、夢の中で「鏡暉リンポチェ猊下、璽暉リンポチェ猊下、鏡暉リンポチェ猊下、璽暉リンポチェ猊下、……」と繰り返し唱え始めたのでした。
 すると、意識が急に上昇し始めて肉体から離れていくような感じがしました。白銀色か黄金色か覚えていませんが、まぶしく明るい光に包まれて、どこまで上昇していくんだろうと思っているときに後ろにいた法友に起こされて、意識が肉体に戻ってしまいました。そのとき、自分がなぜ車の中にいたのかすぐにはわからないという状況でした。
 わたしがこの体験を通じて感じたことは、グル方はわたしたち弟子を常に引き上げようとしていらっしゃるのだということでした。そして、グル方を意識することがいかに大切かということを再認識させられた体験でした。
(アーターピ・サッチャ・パティセーヴィタ)



◆帰依すれば引き上げてくださる

 わたしの執着していた楽器をリンポチェ猊下方に供養させていただく機会がありました。とはいっても、まだ実際に供養を受けていただけるかどうかはわからず、もしかしたらお使いになるかもしれないということだったのですが、わたしは「使っていただいたらどんなに素晴らしいことだろう」と思い、大喜びでそれを差し出したのです。
 すると、その晩、鏡暉リンポチェ猊下が迎えに来てくださって、みんなで鏡暉リンポチェ猊下のお住まいに連れていっていただくという夢を見ました。このときはそんなにものすごく思念したというほどでもないのに、すぐに夢に現われてくださったので、帰依しさえすれば、いつでもすぐにわかってくださるんだなということが実感できました。
 わたしの場合、調子を崩しているときや、疲れているとき、よく夢に現われてくださるようです。グルが出てこられる夢はまさにエンパワーメントだなとよく思いますが、目覚めたとき、エネルギーが回復していて、非常に心が明るい状態になっています。そういう状態をアストラルを通じて与えてくださるのだと思います。同時にわたしのけがれた状態を引き受けてくださっているわけですから、心をけがす身・口・意の行ないをなすことは本当に申し訳ないことだと思います。  また、修行中の体験ですが、ヴァヤヴィヤをやっているとき、鏡暉リンポチェ猊下がずっと一緒にいて遊んでくださったように感じたことがありました。そのときはとてもクンバカが伸びて、自己最長記録を出すことができました。
  (ヴァジラターダーヴァチャラー)


◆そばについていてくださる

 肉体的にも精神的にも疲れてやる気もなく落ち込んでいたとき、もしわたしが(精神的に)おかしくなってしまったらグルはどの程度面倒をみてくださるのだろうと疑念まで生じたことがありました。
 ちょうどヴァヤヴィヤをしているときだったのですが、疑念が生じた次の瞬間、ぼんやりしたヴィジョンですが、鏡暉リンポチェ猊下がお付きの人と一緒に現われました。わたしに近寄ってきて「どうしたの?」と声をかけてくださいました。いつもなら猊下にお会いすれば我を忘れて歓喜状態になるはずなのに、このときは愛著は苦しみであるから捨断しようとして意識を向けないようにしてしまったのです(猊下にお会いできないことや、直接奉仕ができないと感じることにかなり苦を感じることがあったためだと思います)。そうすると、「それは違う、愛著は煩悩だから満たされなければ苦しいが、慈愛によって尽くすことができれば、どんなことでもできる。帰依をしなければ」という意識が出てきて自分のけがれとぶつかりました。その次の瞬間、猊下は「わたしがついているから頑張って」とおっしゃって、わたしの首に手を回して抱擁してくださったのです。思わず慚愧の念が出て、涙があふれてしまいました。  
(ヴァジラアルギャー)



◆夢で歌のイニシエーション

 その日はとても疲れていて、修行やワークに対する「やる気」を失っていました。朝方の四時くらいまでワークをし、修行もせずに休んでしまいました。 「鏡暉リンポチェ猊下、璽暉リンポチェ猊下……」ひたすらそうつぶやきながら……。

 そうすると、夢に鏡暉リンポチェ猊下が現われ、「頑張らなくちゃダメだよ」という内容のことをおっしゃり、いろんな歌を歌ってくださいました。特に印象に残っているのは、「救済ストーリー」を四番まで歌ってくださったことです。鏡暉リンポチェ猊下が歌われると、その空間はみるみる明るくなり、全身の詰まりが取れていきました。わたしは最初、背を曲げてうつむいていましたが、蓮華座を組み、ピシッと背を伸ばして座れるようになっていました。周りにいる法友も同様でした。まさに、暗く曇った心と空間に光を照らすという感じでした。
 実際、目が覚めても、全身の詰まりが取れ、鼻もスースー通っていて、「よし、頑張ろう!」という気持ちになっていました。
 これは、完全に鏡暉リンポチェ猊下のお力にほかなりません。やはりグルの力は偉大だと、ものすごいイニシエーションなんだとつくづく思いました。そして、「いつもこのようにエネルギーを送ってくださっているのか」と、当たり前のことながら、再認識させていただきました。
 この、わたしのけがれきった、腐りきった五蘊を浄化することは、偉大なるグル、リンポチェ猊下方のお力がない限りあり得ません。鏡暉リンポチェ猊下、璽暉リンポチェ猊下、どうかこの現象界に末永くおとどまりください。               (●●●)



◆一番の不調を乗り越えさせていただいた

 斉サマナとして現世で生活しているわたしは、リンポチェ猊下方に実際にお会いできたのは本当にわずかしかありませんが、非常に恩恵を受け助けていただいています。  昨年、非常に調子を崩し修行どころか日常生活もまともにできないころがありました。部屋は汚れ、洗濯物も散らかり放題、何もする気もなく、体も動かない、本当に何もかもが嫌でたまりませんでした。
 そのとき、何かが目のすみを横切ったように感じました。「何だろう」。それが何回か繰り返された後、どうも小さな子供らしいとわかりました。なおも注意していると、何とそれは、お二人のリンポチェ猊下だったのです。
 「リンポチェ猊下がいらっしゃっているのに、こんなに汚い」……慌ててわたしは部屋を片付け、マントラのテープをかけました。リンポチェ猊下方は、その後しばらくいらっしゃる気配があり、出かけたときも、手にだれかがさわった感覚があり、びっくりして見ると、鏡暉リンポチェ猊下が手をつないでくださっているお姿が一瞬見えたり、部屋にいらっしゃる感じが強くしたりしました。  今までで一番ともいえるほどひどい状態だったのが、リンポチェ猊下がそばにいらっしゃるのにこうしてはいられないという思いで、何とか体を動かし修行をしていくことによって、乗り切ることができたのです。遠く離れ、お会いすることもほとんどできない弟子をお助けくださった猊下方のお力の偉大さを実感し、この素晴らしいグルの弟子であることをとてもありがたく思いました。  
(カタプンニャジョーティーラバー)



◆助けてくださるのは猊下方

 わたしは教祖がリンポチェ猊下方に交代してからも、なかなか猊下方を観想することができずにいました。わたしは調子が悪いときにアストラルで魔の攻撃を受けることがあるのですが、そんなときはいつも「尊師!」とアストラルで叫ぶと、いつも尊師が助けてくれていました。ところが、教祖が変わられてからは尊師のお名前を叫んでも状況がいっこうに変わらず、魔を払うマントラ等を唱えても駄目だったので、思い切って両リンポチェ猊下の名前を叫びました。その途端、上の空間に巨大な白い光が二つ現われたかと思うと、どんどん光が強く大きくなっていき、暗く不気味なそのアストラル空間を包み込んでしまいました。それと同時に、それまでの重い空気が消え去って、すべての魔があわてて退散してしまいました。空間が変わってフッと非常に軽くなり、巨大な白い光の空間に安らぐことができました。
 起きてから非常に感動して、見た目は子供だけれども、やはり最終解脱者、偉大な魂なんだと感服し、真実のお姿の一部を垣間見た気がして、それからはリンポチェ猊下方を観想できるようになりました。   (●●●● 大阪支部)



◆猊下を観想することの恩恵

 リンポチェ猊下を観想すると、すぐエネルギーが上がり、ダルドリーが起きます。夢に何回も出てこられ、一緒に遊んだりします。調子が悪かったときに自分自身のけがれによってこの状態になったと思い、リンポチェ猊下を観想して懺悔したら、その人の夢の中で煩悩を証智させていただくようなシチュエーションに置いてくださいました。この夢を見た結果、自分自身の深い部分の煩悩の証智がさらに深まりました。
    (ヴァジラウパスターカー師)



◆観想によって至福の体験

 御尊像を見つめながら、猊下方を観想すると、頭頂から強烈なエネルギーが入ってきて、全身が満ちてものすごい至福・歓喜の状態になりました。開祖によるイニシエーションを受けたときと同じような感覚でした。開祖からのイニシエーションを受けたときは、全身の細胞一つ一つが至福・歓喜しているといった状態になったのですが、そのときはほとんどそれと変わらない状態を経験できたのです。何時間修行しても得られなかったむのが、少し猊下方を意識しただけで体験できたのです。 
(パヴィッタ師)



◆光り輝く水晶のような猊下

 あるときわたしは住居内の人間関係に大変悩んでいました。ある日、苦しみが頂点に達してきて、こっそり住居から出て、夜の街中にフラフラと出ていってしまいました。
 このまま、どこかへ消えてしまいたいと思いつつフラフラ歩いていると、突然脳裏に鏡暉リンポチェ猊下のお姿が浮かび、「ダメだよ、戻りなさい」とおっしゃいました。そして、「今、動物界から引き上げてあげるからね。……大丈夫だよ」とおっしゃい、気がつくとずっと違和感を感じていたスヴァディスターナの結が取れていました。わたしは呆然としてしまいました。いくら修行してもなかなか抜けなかったのに、グルのお力によってまさに一瞬にして苦しみから解放されたのです。そして青い色がちらっと見え、心は落ち着きを取り戻し、「これも自分のカルマなのだから逃げてはいけないんだ、そして自分にはグルがついていてくださるのだから」と思うことができるようになって、住居に戻りました。
 また心が不安定になり、いっそう不安定になると知りつつ、ついマンガを立ち読みしてしまったことがありました。これではいけないと思い、そのデータに愛着しつつも、猊下に供養しようと思って、立ち読みしたマンガを本ごと猊下に供養するイメージをリアルにしてみたら、そのデータがすーっと光に溶けていくように消えていくのが視覚的に見えました。心はすっきりとして、目の前が明るくなりました。そのマンガのデータによって鬱々とした暗い心から解放していただけたのです。本当に猊下は広大で光り輝く水晶の海のようなお方だと思いました。         (●●●●)



◆カルマを背負い救ってくださった猊下

 そのころわたしは、何とかビデオ会員まで導けた祖父のことで頭がいっぱいで、祖父とカルマ交換が起こってしまったようでした。祖父が教学しているヴィジョンとともに、右腕が急にだるくなってだらんと垂れてしまいました。肩から先が非常にだるくて指先に力が入らず、ペンを持って書くこともできないような状態になってしまったのです。
 そこで、これは何をおいてもまず修行だと思い、すぐリンポチェ猊下を観想しながら、懺悔を始めました。すると、ヴィジョンの中で、リンポチェ猊下がわたしのカルマを落とすと同時に、わたしの身体を神々に供養してくださるのです。その供養を数回繰り返してくださいました。
 すると、だらんと垂れていた右腕がプルブルブルッと振れて、自然に頭上まで上がってきて、エネルギーが戻った状態になり、ちゃんとペンを持つことができるようになりました。
 ときには、このように両リンポチェ猊下が一サマナのカルマを一緒に背負い、救いの手をさしのべてくださっているのだという不思議な体験をさせていただきました。時空を超えたグルの慈愛に深く深く感謝いたします。 (●●●●●)



◆夢のエンパワーメントでカルマが解放

 これはわたしが今年の春に、ワークの関係で岐阜にいたころの話です。
 そのころのわたしは、自分のワークが思うように進まず悩んでいました。ワークができないという卑屈さと、それを認めたくないというプライドから、毎日のように隠れて泣いてばかりいました。カルマ落としも続いて、その日はもう耐えられないくらいに苦しんでいました。
「自分はこんなに弱い人間だったんだろうか……。いつもの自分はこんなことでくよくよする奴じゃないのに……。何もかも苦しくてたまらない!リンポチェ猊下、どうかわたしをこの苦しみから助けてください!」と何度も何度も泣きながらすがりました。
 すると、その日の夢に鏡暉リンポチェ猊下が出てきてくださって、猊下と少しお話をしました。お話が終わった後、いきなり鏡暉リンポチェ猊下がわたしの左手首をつかまれて、「エンパワーメントしてあげるよ」とおっしゃったのです。ギュッと力強く握ってくださり、しばらくの問じっとされていました。わたしは恐れ多くて、「猊下、もういいです!これ以上続けたらカルマ交換して猊下に影響が出てしまいます!」と言いました。ところが猊下は、「いいから、いいから。わたしは大丈夫だから」とおっしゃって、さらに力を込めてわたしの左手首を握ってくださったのです。夢から覚めたわたしは、ありがたさとうれしさとで涙が止まりませんでした。 「
できないなりにワークを頑張ってみよう。できることからやってみよう」と思うことができました。苦しみ悩んでいたわたしの心は、猊下のお力で意識が引き上げられたのでした。  それと同時に、いきなりカルマの解放が起こりました。今まで「自分はこんな人間ではない。こんな人間にはなりたくない」と思っていた「女性的な部分」がドバッと出てきました。それまではあまり認識していなかった性欲や異性に対する依存心が出てくるなど、少し前までの自分では考えられないような潜在意識が出てきたのです。一気に左の気道のけがれが吹き出したという感じでした。
 今まで、「自分はこうなんだ」と思っていた以外の「自分」が出てきて、怖くなりましたが、鏡暉リンポチェ猊下が潜在意識の深い部分を証智させてくださったのだと思い、卑屈にならずにそれを受けとめることができました。今考えてみると、このころの出来事は自分にとってとてもよい修行になったと思います。
 夢の中でも、ご自分のお体を気にされず、わたしのためにエンパワーメントしてくださった猊下。このことがあってから、それまで自分のけがれに没入してしまっていて考えられなかった、救済″という意識が出てきました。
 自己を犠牲にし、他を救済することの大切さを教えていただきました。心からすがれば必ず助けてくださり、苦しみから脱却するための道を与えてくださる、偉大なグル、リンポチェ猊下方。これからも未来際においても帰依し続けていきたいと思います。     (●●●●)



◆グルの慈悲を実感

 セミナーで修行させていただいていたときのことです。そのときわたしは自分が本当に心を込めることができないで苦しんでいました。俄悔をするにしても、それがどれほどの悪業かを頭では理解しているつもりでも、なぜか心の底から懺悔悔することができなかったのです。しかし、セミナーを続けているうちに徐々に自分の心が変わっていきました。そして、最後になって本当に心の底から祭壇のリンポチェ猊下に懺悔をすることができたのです。
 懺悔をし始めると突然、自分の周りの空間も含めてエネルギーが上の方に抜けていきます。それによって自分のナーディーの詰まりも、ものすごい勢いで空間全体に吸い上げられていきます。まさにわたしの今までの悪業によるけがれをすべて吸い取ってくれているようでした。そのときわたしは「なぜ、わたしはこんなにけがれているのに、リンポチェ猊下はわたしのカルマを背負ってくださるんだろう」という驚きとともに、グル方の広大な慈悲を感じ涙があふれ出ました。そのとき感じたことは、やはり教えのとおり、肉体のグルというのは実体ではなく、本当に意識の空間、最高の意識なんだなということを感じることができた体験でした。
  (ソーパーカ師)


「完璧にグルとのパイプがつながったら、グルからエネルギーがどっと入ってくるんだね(『マハーヤーナ』17号)」

と開祖もおっしゃっているように、グルと弟子との間に空間の隔たりは存在しません。わたしたちがしっかり猊下方を意識し、帰依を培えば、猊下方の神聖なエネルギーは常に自然にわたしたちに注がれるのです。
 しっかり日々の修行を行ない、功徳を積み、猊下方に対する帰依を培いましょう。


 わたしがどこにいようと、ね。例えば、わしが地球の反対側にいようと、ね。わたしは絶えず君たちと一緒にいるんだということを理解しなければならない。そして、意識する人こそ、わたしの本当の弟子であり、絶えずわたしのエネルギーの恩恵を受けている人だということを意識しなさい。いいね。そして、それがわたしの弟子としての果報なんだよ。(八九年六月二日 富士山総本部道場)