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グル
……すべての魂の至宝……

【鏡暉リンポチェ猊下・御降誕日記念特集】
文:アジタナーター・カーリー




 鏡暉リンポチェ猊下と、璽暉リンポチェ猊下が尊師の後を継がれてから、早くも1年3ヵ月になります。しかし、多数の人が集まれる教団の施設がなくなったことや、お二人が年齢的に幼くあられること、その他のいろいろな条件によって、リンポチェ猊下方はサマナの皆さんとあまり接することができないというのが現状です。
 けれども、リンポチェ猊下方は、現実にはそばにいらっしゃらなくても、常に弟子たちのことを気にかけ、導いてくださっています。お二人がどのような方なのか。どのようなお力を持たれているのか。リンポチェ猊下方が、どのように弟子たちを尊かれているのか。
……リンポチェ猊下方のそばで奉仕をさせていただいている者たちが、間近で見た猊下の素晴らしさをお伝えします。


<透明な魂>

 三つの煩悩がある限り、本当の救済者になることはできない。
 (87年6月27日)


 鏡暉リンポチェ猊下も璽暉リンポチェ猊下も、本質的には煩悩を有していらっしゃいません。
 カルマを受けて、少し乱れられることはありますが、それ以外のときは寂静でいらっしゃるのです。


◆煩悩によって動かれることがない

 両猊下を日々おそばで見ていてわかることは、煩悩的でない、煩悩から何かをされるということがほとんど見られない、ということです。ふつう子供(幼児)というのはわがままで、気に入らないと癇癪(かんしゃく)を起こして泣きわめくところが多かれ少なかれあると思いますが、そういうところがないのです。まさに「透明」なのです。        
       (D師)



◆透明な方々

 猊下方には言葉で言い表わせない透明感を感じます。どんなに落ち込んでいるときでも、猊下に接していただくと、何ともいえない安心感を得られるし、とても元気になります。 (サマナT)


◆修行をすると煩悩がなくなるんだよ

 鏡暉リンポチェ猊下が修行をなさったあと、お部屋の椅子にずっと座っていて、いつまで待っても何も始めないので、「何して遊びましょうか」とお伺いしたら、「今は修行が終わったばっかりで煩悩がないから、遊びも浮かばないなあ」と言って、しばらくじっとされていました。とても透明で煩悩がない鏡暉リンポチェ猊下の本来の姿が如実に現われる瞬間です。
 また、鏡暉リンポチェ猊下は、「この遊びをしよう」とおっしゃっても、ご本人がやりたいと思っているのではなくて、相手が今だったらこれをやるかな、と思ったことをおっしゃっていることが多いようです。「え、鏡暉リンポチェ猊下、それをしたいんですか?」とお伺いすると「あなた、したくないの?」とおっしゃることがよくあるのです。猊下方は子供のように遊んでいらっしゃいますが、それは、周りの者を引き上げるためのものであって、猊下にとっては遊びの形を取った救済なのだと思います。             (皇子奉仕係B)



<物事の本質を見つめる>

智恵というものは、透明な心を表わしている。透明な心というものは、例えば対象に対して、その対象をありのままに、正確に映し出すことを表している。   
   (91年3月2日 京都支部)


 わたしは、リンポチェ猊下方ほど純粋で、また綺麗な方を尊師以外には見たことがありません。
 物事の本質から目をそらさずに見つめる強さ。
 その本質の意味を理解する純粋さ。
 間近な人が見た、猊下のそのような面のエピソードを1つご紹介します。


◆無常を見つめて

 璽暉リンポチェ猊下はまだご幼少ですが、死、病、老いをはじめとした様々なこの世の無常にとても敏感なご様子です。悲しみの涙を流されることがよくあります。
 例えば、老いに関係する本をご覧になったときのことです。とてもショックを受けたご様子で、自分もそうなるのかとお聞きになり、またわたしにも、いつかはあなたもこうなるのかと問い、悲しいと言って心からのご様子で泣かれるのです。成長していった先にこのような悲しみがあることをだれがお教えするわけでもなく、ご自身でその悲しみに気づかれます。また死や様々な別れに対しても、そのことに話が及ぶと子供とは思えない悲しみを表現されます。

 わたしは今まで、現世でも出家後も、たくさんの子供たちに接して生活してきましたが、猊下方のご様子が、普通の子供たちとはずいぶん違うということを感じます。
 わたしはこのような猊下のご様子が偉大な救済者ならではの、とても崇高なものであり、慈悲深いものであることを感じます。
 わたしはこのような優しさに接したことはありません。それは大人も子供も含めてのことです。尊師と猊下方だけが感じさせてくださるものです。この悲しみと優しさをお持ちだからこそ、多くの苦しめる魂を救ってくださるのだと思います。               (皇子奉仕係A)



 次は鏡暉リンポチェ猊下のエピソードです。
 リンポチェ猊下方は、英才教育を受けていらっしゃるわけではありません。
 しかし、理解力の高さや、ずば抜けた知能、物事の本質を見抜く智性と智慧においては、普通の子供とは比較になりません。


◆本質を見抜く能力

 鏡暉リンポチェ猊下はかなりご幼少のころからずば抜けた記憶力と理解力を示されていたのですが、それは遊びの面でも勉強の面でも発揮されています。新しいゲームはどんなものでも……それがチェスであろうと将棋であろうとトランプであろうと……一度なさったらすっかり理解してルールを覚えてしまわれるのです。
 勉強の面ですごいと思うのは、習ったことを本質的なレベルで理解なさっているということです。例えば、猊下は足し算をするときに、今覚えているかけ算を使って答えを導かれるのです。7+8だったら、7×2=14、14+1だから答えは15というように。そのような計算の仕方はだれにも教わっていないのに、お一人でそのやり方を考えて使われているのです。

 また、スーパーで買い物をしているときに、商品を持ってレジに並んでいると、「310円だよ」などと突然おっしゃったことがあります。驚いて値札を見ると、確かに合っているのです。商品のあった場所からレジまではすぐ近くだったので、その計算の速さと正確さに驚くと同時に、算数が実生活に結びついている、つまり数や計算の持つ本質的な意味を理解し、それを実生活に活用されているのだということに驚かされました。 (皇子奉仕係B)



<神秘力>

わたしにとって神通力は神通力ではありません。これは普通の能力です。そして通常の能力、例えば本を書くスピード、表現するスピードとか、あるいはその音楽におけるその音程をとるとか、あるいは相手と話をして相手の心がどういう状愚であるかというようなものについては、まさに普通の状態ということになるでしょう。
        (94年12月11日)


 これは、鏡暉リンポチェ猊下が、ある人とゲームをなさっていたときのことです。
 その人は考えに考えて、駒を出していくのですが、リンポチェ猊下に負け続けで、どうやっても勝てません。その人は、もしかしたら考えているのがいけないのかもしれないと思い、駒を全部ぐちゃぐちゃにして、何も見ずに駒を出すことにしました。
 ぐちゃぐちゃにしたのを見て、鏡暉リンポチェ猊下は少し表情を変えられました。
 それからは面白いように形勢が逆転し、その人はリンポチェ猊下に勝つことができました。
 他心通を使ってゲームをなさっていたという話です。
 このような詰もあります。鏡暉リンポチェ猊下は将棋をなさっていたことがありました。ある日、わたしは鏡暉リンポチェ猊下に呼ばれて、将棋の相手をさせていただきました。そのとき、リンポチェ猊下は修行の時間が過ぎていて、将棋が終わったら修行に行くということになっていたのです。
 わたしは将棋のルールをあまり知らず、時間がかかるというのも聞いていて、少し不安な面がありましたが、二回やって二回とも面白いように勝つことができました。
「?」
と思っていると、どうも修行時間が過ぎて、リンポチェ猊下は思考がしにくい状態になっていらっしゃるようなのです。
 鏡暉リンポチェ猊下は、
「もう、修行してくる!」と言って、そのまま修行しに行かれました。
 戻って来たときには、別人のように強くなっておられました。わたしは二回か三回やって、全滅した記憶があります。
 このような体験は、他のサマナもたくさん経験しています。
 次にご紹介するのは、サマナが見た、猊下の神通力のエピソードです。

◆天候を変える

 わたしは、猊下方に何度も天気を変えていただいています。
 昨年末、ご自宅の工事をしていたときのことです。それまで晴天続きだったのですが、渡り廊下の工事を始めてからは雨が降り続きました。屋外の作業なので、雨が降ると作業が全く進まなくなってしまいます。仕上げを急いでいたわたしたちは、奉仕係の方を通じて鏡暉リンポチェ猊下に雨を降らさないようにお願いしていただきました。するとその後、作業が終わるまでは雨が降りませんでした。
 ご自宅のベランダの工事をしていたときも、やはり鏡暉リンポチェ猊下が晴天にしてくださいました。この日は朝から曇り空だったのですが、工事を始めるころには、どんどん雲行きがあやしくなってきたのです。そこでわたしは、外で遊んでいらっしゃった鏡暉リンポチェ猊下に「雨が降ると作業ができなくなるから、雨が降らないようにお願いします」とお願いしました。猊下はそれに同意されると、その場で何かマントラのようなものを唱えられました。すると、今にも雨が降り出しそうだった空から雲がだんだんなくなってきて、すっかり晴れてしまったのです。そのとき唱えられたものについて、あとで猊下は、「天気になるマントラ」とおっしゃっていました。
 工事の作業中に、猊下がわたしを遊びに誘われたことがありました。しかし、このときわたしは天気がいいうちに作業を終わらせたいと思っていたので、あまり遊びたくない気持ちがあったのです。すると、鏡暉リンポチェ猊下は、その心を見透かされたように、「わたしが雨が降らないように思ってるから、しばらく降らないよ」とおっしゃり、実際、その後数日は雨が降らず、無事に作業を終えることができたのです。
 璽暉リンポチェ猊下に晴れるようにお願いしたこともあります。そのときわたしたちは、コンクリートを使って塀の下の基礎の部分を修理する作業をしようとしていました。ところが、その前日に雨が降り始めて、どんどん雨足が強くなり、このままでは作業ができないような状況でした。その夜、璽暉リンポチェ猊下に、「塀が崩れると大変なことになるので、どうしても明日中に作業を終わらせてしまわなければいけないのです」と申し上げて、晴れにしてくださるようにお願いしました。奉仕係の方がさらに状況を詳しく説明したところ、璽暉リンポチェ猊下は少しの問うつむいていたあと、顔を上げて「いいよ」と二言おっしゃいました。そのときの猊下は、グルらしい威厳に満ちた、開祖と同じような雰囲気でした。また、その一言は子供の言葉ではなく、グルの口調でした。普段は子供らしく振る舞っていらっしゃる璽暉リンポチェ猊下の、その雰囲気の変わりようにわたしは驚き、「ありがとうございます!」と深々と頭を下げました。
 翌日は、朝方まで雨が降っていたのですが、結局、作業ができる状態まで天候は回復し、無事に塀の修理を終えることができました。       (サマナJ)


 天候を変えてまで、功徳を積ませてくださるリンポチェ猊下方の慈愛。まさに、尊師の化身ですね。


◆神々をご覧になっている

 鏡暉リンポチェ猊下と一緒に神社のそばを通りかかったときです。猊下が「ここ、何?」とお尋ねになりました。「神社っていうんです。神社っていうのは、神様がいるといわれているところです」とお答えしたら、「こんなとこ、神様いないよ。わたしも璽暉君も、こんなとこ住みたくない」とおっしゃいました。            (サマナI)

 常に神々をご覧になっているという鏡暉リンポチェ猊下がおっしゃったその言葉には、とても説得力がありますね。
 さて、次のエピソードは、リンポチェ猊下方の他心通に関係することです。猊下方はこのような神通力を遊びにも、サマナを引き上げるのにも、当たり前のように使っていらっしゃいます。

◆心を読まれる

 鏡暉リンポチェ猊下とじゃんけんのような遊びをしていたときです。最初に出すものを考えていて、途中で、「これはやっぱりまずいかな、こっちを出そう」と思って別のものを出すと、「途中で出すもの変えちゃ駄目でしょ」と言われて驚きました。
 璽暉リンポチェ猊下が、これを少しやってはあっちというように、三つか四つの遊びを同時になさっていたことがありました。猊下にご奉仕するときには自分が楽しむために遊んではいけないとはわかっているのですが、ご一緒している自分が楽しもうと思うと、ほかの遊びに移ってしまわれるのです。また、そのような心の働きが起こると、猊下ににらまれることもあって、こちらの心の状態を常に見ていらっしゃるんだと思います。       (H師補)



◆いつも心の状態をご覧になっている

 猊下と接していて感じることは、こちらの心の状態によってはっきり態度を変えられることです。一緒に遊んでいるときも、こちらに嫌悪があったりして少しでも“ひけめ(遊ぶの嫌だな、という思い等)”があったり、逆に自分のエゴで遊んでいたりすると(遊び方などを今までの自分の幼少期に培った観念の方向に持っていこうとしたりする、つまり奉仕の心ではなく、自分が遊んでみたい方向に持っていこうとすると)、接していただけなくなったり、カルマ落としをしていただいたりします。
 言葉で法を説いてくださったり、訓戒をしてくださったりということはありませんが、いつも心の状態を見てくださっているのがわかります。       (サマナT)


<光のエネルギー>

グルのエネルギーは、当然弟子のエネルギーに比べて、強く上向きに働き、そして意識も高い次元にあります。ということは、グルに意識を向ける、イコール、エネルギーを上に強く引き上げられ、そして、意強が上に引き上げられるということになるのです。
        (教学システム第3課)

◆猊下方のエネルギー

 わたしがリンポチェ猊下方のそばで奉仕をさせていただくようになったばかりのころ、まだわたしは、猊下方にはたまにしかお目にかかることがありませんでした。ある日、わたしがいた部屋に璽暉リンポチェ猊下がいらっしゃったのですが、部屋に入ってこられた瞬間にエネルギーが上がって、歓喜状態になりました。
 また、三日間部屋にこもって集中修行をしていたときのことです。三日目になると、強くなったエネルギーが上昇してナーディーの詰まりにぶつかり、苦しんでいました。そのとき鏡暉リンポチェ猊下が、わたしが修行していた場所の敷地内にいらっしゃったのです。その途端に敷地全体の空間が変わったのがわかりました。同時に、わたしを苦しめていたエネルギーの詰まりが取れ、修行がしやすくなりました。もちろん、それに伴って意識も変わりました。
 このほかにも、わたしたちがいる部屋にリンポチェ猊下方が入ってこられた瞬間に空間のヴァイブレーションが変わるということを何度か経験しています。それをあえて表現するならば、生暖かい空気が充満していた部屋にさわやかな涼風が入ってきて、部屋の空気が一変してすがすがしくなるような感じです。説法会の会場などに尊師がいらっしゃったときに感じたことのあるヴァイブレーションの変化と全く同じです。
一日中猊下方と接していると、お食事会や祭典で尊師と長い時間ご一緒させていただいたときと同じように、エネルギーが充実してきます。そして、ずっと接していると、意識がどんどん解放されていっているなというのがわかります。 (E師)


◆ミラクルポンドのイニシエーション

 鏡暉リンポチェ猊下がお風呂いっぱいのミラクルポンドを作られて、それをすぐにいただく機会がありました。それはすごいエネルギーで、体がカーッと熱くなり、周りから見てもわかるほど顔が真っ赤になり、エネルギーが上がってふらふらするほどでした。その後しばらくは、エネルギーが上がってふわふわ宙に浮いているような感覚が続きました。少しエネルギーが下がっても、またミラクルポンドをいただくと同じようにエネルギーが上がりました。そして、このミラクルポンドのおかげで、いつになくエネルギー状態のいい状態がしばらく続きました。
 以前、開祖のミラクルポンドをいただいていたときには、まだタマスでよくわからなかったのだと思いますが、ミラクルポンドがいかに素晴らしいイニシエーションであるかを実感し、リンポチェ猊下のエネルギーの素晴らしさを感じました。
 このミラクルポンドはご自宅の周りのサマナ何人かに配られたのですが、その後、鏡暉リンポチェ猊下はみんなのカルマを受けて一カ月ほども調子を崩されたままでした。それでも、猊下は
「わたしはみんなにイニシエーションができてうれしい!」
と言って、その後も何度もミラクルポンドを作っては
「みんなに配って」
とおっしゃいました。ただ、残念ながら、これは条件が整わなくて配られることはなかったのですが、猊下は常にみんなを引き上げるためにイニシエーションやエネルギーを与えたいと思っていらっしゃるのだなと感じました。  (皇子奉仕係B)



◆けがれを吸収し、清らかなエネルギーを与える

 鏡暉リンポチェ猊下は周りのけがれたエネルギーをどんどん吸い取られています。例えば、わたしが朝起きて、「ここが詰まっているな」とか「ここが痛いな」と思っている状態で猊下にお会いすると、五分も経たないうちにすっきり治っているのです。
「あんなに頭が痛かったのが、全部鏡暉リンポチェ猊下に行ってしまっているんだ」と思うと怖くなってしまうほどです。本当にすごい勢いでこちらの悪い状態のエネルギーを吸い取られているのです。

 けれども少し修行をされると、とても短い時間で元の状態に回復されます。鏡暉リンポチェ猊下は修行がとてもお好きです。
「何をするのがお好きですか」と猊下にお何いすると、「わたしは救済のために降りてきたんだから、修行と救済だね」とおっしゃいますし、楽しそうに遊ばれているときに思わず「楽しいですか」と聞いてしまうことがあるのですが、決まって「楽しいわけないじゃない、修行の方が楽しいよ」とおっしゃるほど修行がお好きなのです。そして、日頃からとてもよく修行をして状態を維持されています。
 それでも、あまりにもカルマを受けると修行ができなくて、座っていることもできない状態になられることもあります。そのようなときでも、お部屋でしばらく横になったあと、急に起き上がって集中して修行をして元に戻られます。
 普段の生活で受けているカルマの量ならそのようにして回復されますが、例えば外出したり、普段は接することのないサマナと話したり遊んだり、多くのサマナにイニシエーションを行なったりすると、そのあと何時問か動けなくなられることもあります。
 このようなときには、何日間も調子の優れない状態が続きます。それでも、あまり人と会わずに静かに生活されているうちに、だんだん回復されていきます。
 そして、カルマを受けた状態を回復しようとするときや、何か猊下としてやらなければならないことがあるときには、例えばカルマを受けて好きな食べ物ができたとしても、「調子が良くなるまでは食べない」とか「それが終わるまでは調子を崩せないから」とおっしゃって、ほかの人がそれを食べていたりしても、絶対に召し上がりません。とても強い意志をもってご自身をコントロールされているのです。
 このように鏡暉リンポチェ猊下は、ただひたすら弟子たちのカルマを背負っては修行によって回復するということを繰り返していらっしゃるのです。     (皇子奉仕係B)



 猊下の修行のエピソードが出ましたので、それに関連してもう一つ、パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーションのことをお話ししたいと思います。
 鏡暉リンポチェ猊下はエネルギー切れのせいか、ずっとお部屋の中に閉じこもっていらっしゃいました。
 それも、一日に一度も外に出ないような生活で、何カ月間も同じ状態が続いたのです。
 鏡暉リンポチェ猊下は、お元気なときは両方とも一重まぶたなのに、ずっと一重まぶたに戻らない状態でした。
 車に乗っての外出は、月に一度できればいい方だったのです。
 それが、パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーションを着けられるようになってから、突然のようにお元気になりました。
 ずっと続いていた二重まぶたもー重に戻り、外に出ても平気になられました。
 お元気になった鏡暉リンポチェ猊下を拝見して、パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーションはすごいイニシエーションだと驚嘆せずにはいられませんでした。


<深い慈愛と哀れみをたたえて>

 グルであるかどうかの基準は三つ考えられます。その第一は、そのグルが広大無辺な四無量心を培っているかどうか。        (教学システム第1課)

 猊下方の四無量心は、本当に素晴らしいものです。
 常に弟子たちのことを気にかけ、弟子のためだったら我が身を顧みず、救済のためには常に自己を犠牲にし続ける……。
 尊師が癌になるまで弟子にエンパワーメントをし続けられたように、鏡暉リンポチェ猊下も璽暉リンポチェ猊下も、常にエネルギーを放出なさっています。
 尊師と同じように、深い慈愛と哀れみを持って接してくださるリンポチェ猊下方は、まさにオウムの至宝だと思います。


◆厳しく、優しく導いてくださる猊下

 猊下が精神的なフォローをしてくださるときには、本当に、開祖のようだと感じます。
 鏡暉リンポチェ猊下はわたしの引っかかっていることをよくご存じで、たまに、わざとではないかと思われるほど、こちらが忘れているころに、それを突然おっしゃるのです。わたしはそれにすごくショックを受けてワークができなくなってしまうのですが、そういうときには鏡暉リンポチェ猊下はそれ以上何も言わずに、すっとわたしから離れてほかの人と遊ばれます。
 そして、わたしの心の乱れがやっと収まりかけたかなと自分で思ったころに、猊下は突然いらっしゃって、「もう大丈夫?もうワークできる?」とおっしゃいます。そのとき猊下は、さっきまで心が波打っていたのが嘘のように静まるほど優しい波動を出してそばに立ってくださるのです。
 けれども、そういうときにはわたしはまだ猊下に奉仕ができるような状態ではないので、「まだ駄目です」と申し上げるのですが、すると、「じゃあ、わたしの食事を作って」とか「洗濯物をしてきて」などと言って、小さな功徳を意図的に積ませてくださいます。そして、そのワークが終わって本当にわたしの心が落ちついたころに「わたしの食事を作って功徳を積めてよかったね」と言ってくださるのです。
 このようなことを通じて、わたしは何度も自分の引っかかりにアプローチする機会を与えていただいています。このような引き上げ方は、本当に開祖麻原尊師がしてくださっていたのと全く同じだと思います。
 また、わたしがくじけそうになると、「早くステージ上げさせてあげようと思ってるのに」と言われ、悪業を積んでしまったときには「せっかく修行が進んでたのに、あなた、また自分でステージを落としちゃったね」などとおっしゃって慚愧の念を引き出してくださいます。
 弟子の状態を如実に把握されて、限界までは厳しく、そして限界まで来たときには本当に優しく引き上げてくださる猊下の慈愛を感じずにはいられません。     (皇子奉仕係B)



◆猊下の慈悲

 わたしは璽暉リンポチェ猊下に奉仕させていただくようになって、ずいぶんカルマやエネルギーというものに敏感になりました。もともとこの種のことにはとても鈍感だったわたしがこのように変わったのは、猊下のエネルギーと光を分けていただいているからだと思います。
 猊下は最近いろいろな人たちと一緒に過ごされます。わたしも一緒についていくことが多いのですが、疲れてしまうことがよくあります。それは、相手の心の状態とその場のエネルギーを感じ取るからです。ときには、その疲れに耐えきれず、そっとその場を離れて休まざるを得ないこともあります。
 猊下はどうかというと、疲れも気にされず、相手と一緒に過ごされています。「そろそろ戻られませんか」とわたしが声をかけることもあるのですが、猊下は構わずその場にい続けられるのです。
 このようなこともよくあります。例えば、猊下が車でお出かけになるときのことでした。運転する人を選ぶ際、わたしはエネルギー状態の良さそうな人を、「この人はどうですか」と申し上げたのですが、猊下は他の人を選ばれました。その人は大変調子を崩している様子で、タマスといろいろな苦しみのもやに取り巻かれたような状態で車に乗り込んできました。車の中はそのもやに包まれ、猊下は急に元気がなくなられてしまいました。しばらく車を走らせると、そのもやはだんだん晴れ、その人はだいぶ調子を取り戻しているように見えました。猊下はいっそう疲れていらっしゃるように見えました。家に戻ってからもずいぶん休んでいらっしゃいました。
 識●皇子が今の猊下ぐらいのお年のころ、わたしが自己のカルマのために今よりずっと苦しみながら奉仕を続けていたときのことです。自分の心のあまりの悲惨さに、なすべきことも放棄したくなり、「心がこんな状態で奉仕していて、それでいいのですか」とお尋ねしたことがあります。そのとき皇子は「心はどうでもいいんだよ、やってと言うことをやってくれればそれでいいの」とおっしゃいました。わたしはそのとき、心が伴っていなくても行為が良ければそれでいい、という感覚がよく理解できませんでした。
 でもそのときからずいぶん日を隔てて、徐々にわかってきたことは、それはまさに救済者の心の一面でもあるのだなということです。猊下方の日々のご様子もまさにこのように感じます。
 わたしなどは、相手の調子があまり良くない状態等を感じると、その場にいることがいたたまれなくなってしまいます。これでは仕方ありません。猊下方はだれよりも繊細でありながら、救済のためにはそのようなことを気にもとめられず、相手に対してどんどん功徳を積ませ、カルマを落とされているということをとても感じます。そのように猊下方は救済においては本当に強くたくましく見えます。
 人のことを気遣っているつもりでも、よく自分を見つめれば、多くは自分をかばうための相手への思いやりしか持てないようなわたしたちの器とは比較にならない猊下方の大きさを感じます。
 わたし自身はこのように、猊下によって自分を変えていただきました。苦しみにまみれ、心の伴わない奉仕しかできないわたしであっても、それには全く頓着されず、ひたすら徳を積ませてくださいました。そして猊下の繊細さの現われでもあると思うのですが、本当に限界に来たときは涙が出るくらいうまく心をなごませ、また頑張れるように慈愛に満ちた導きをしてくださいました。このような日々の中でわたしは、まだまだではありますが、感謝の心を伴った奉仕が徐々にできるようになってきました。そしてこの心の変化は、いろいろな現象を帰依の心で見ることができるようにしてくれ、それがいっそう心を安定させてくれるようになりました。
 尊師は救済のために、ただただ自己を投げ出されています。そのような尊師は、今確かに猊下方の中にいらっしゃると思います。
 今はつらくても教えに基づき、なすべきことを必死になしていれば、現象界、アストラル、コーザルを通じて、グルの素晴らしさをもっともっと実感し、それによって救われる目が、だれにも必ず来るように思います。
 幼少のころから猊下方の様子を見させていただいているわたしには、猊下方の生き方というのは、最高の道を歩けるはずの自己の素晴らしさをすべて投げ出し、多くのけがれと引き替えにする、まさに自己を捨てる人生だということが本当によくわかります。
 多くのカルマを受け、高熱を出し、けいれんを起こしながらぐったりしていらっしゃる猊下に、水分を差し上げることしかなすすべがなく、不安でたまらない気持ちで見守ったことが何度もあります。夜もしっかり休めないほど多くの湿疹に三カ月間以上も悩まされ続けていらっしゃいます。また、いつも穏やかで集中力があり、努力家でいらっしゃる猊下が、精神的に大変不安定になり、本来の力がほとんど発揮できないでいるご様子を何度拝見したことでしょう。
 このようにカルマを受け、自分で回復し、また多くのカルマを受けられるといった繰り返しの毎日です。

 この回復の際も、さすがに猊下であると感じさせられます。まだご幼少なのでカルマを受けられたときの様子はとても心配なのですが、自己の状態をきちんとご自身でキープされていると思います。エネルギーを惜しむことなく多くの人に分け与えていらっしゃるかと思うと、一切を遮断されたようにこもって生活し、エネルギーを回復されます。このときは特に外部のほとんどのものに興味を示さず、やはり普通の子供とは全く思えない、煩悩を捨断された落ち着いた、静かなご様子で生活されています。  多くのけがれという大変な荷物を担いだ状態で、また自己を浄化し、さらに多くの人々を導いていかれる猊下方。このご様子はご幼少でありながら尊師のように優しく強くたくましく、素晴らしく見えます。(皇子奉仕係A)



<三度の懇願>

 リンボチェ猊下は、三度懇願したら応えてくださることがあります。
 今回作成したビデオの撮影のときがそうでした。
 その日は朝から雨が降ったりやんだりしていて、ちゃんと撮影ができるかどうがが不安でした。その間にも出発時間が刻々と迫っていて、撮影陣もわたしも困り果てていました。
 出発三十分前になったとき、リンポチェ猊下は「嫌だ」とおっしゃいました。そのとき、リンポチェ猊下はあることに集中されていて、それを妨げられるのが嫌だったようなのです。その途端、ザーツと大雨が降り出しました。
 わたしたちはさらに困り果てました。その日に撮影をしなくては、猊下の御降誕日に、ビデオを間に合わせることができなくなるかもしれなかったからです。
 猊下なら何とかしてくださるに違いないと思い、わたしは猊下のもとへ行って、三度懇願しました。
 三度の懇願にリンポチェ猊下は沈黙していらっしゃいましたが、黙ったまま二階のベランダに出られました。何をなさるのかと思ったら、空に向かって「雨、止んで!止んで!」と何度もおっしゃったのです。それから、食べ物を空に向かって供養されました。
 すると、雨はぼつぼつと小降りになってきました。そして、出発時間には雨がぴたりとやんだのです。
 車に乗って目的地に行くまではまた少し小雨が降りましたが、撮影が始まってからは一切雨が降りませんでした。それどころか、雲に切れ間ができて、日が射すほどに天気が回復したのです。
 このようにして、今回、新しいリンポチェ猊下方のビデオが完成したのです。
 三度の懇願に応えてくださるのは、サキャ神賢のようですね。
 このようなお姿は、猊下方の慈愛の表われだと思います。



<救済が喜び>
 救済者がそこに存在する理由というものは、そこにおいしい食べ物があるからでもなく、あるいは美しい異性がいるからでもなく、あるいは名誉や権力が得られるからでもない。それは、その魂と縁深き衆生、あるいは縁なき衆生を一つでも高いせ界へと引き上げること、これが救済者の喜びだからである。     (93年2月4日)

 猊下方にとって楽しいことは救済と修行。
 遊びも勉強も、二次的なものにすぎません。
 次に、猊下の救済と修行についてのエピソードをご紹介します。


◆楽しいことは「救済」

 猊下が何をなさってもつまらなそうにしているときに、「何をしても楽しくないなんて、なんてお気の毒なんだろう」と思って、そう申し上げたら、「救済以外に楽しいことなんてないよ」とお答えになったことがあります。     (皇子奉仕係B)


◆猊下がいないと救済は成功しない

 あるとき、警備のワークについて鏡暉リンポチェ猊下と二人でお話ししているとき、「こういうふうにしないと猊下方が危険なんです。猊下方に今死んでしまわれると困りますから」とわたしが何げなく言うと、「リンポチェ猊下がいないと救済は成功しないんだよ」と力強く、かつ静かにおっしゃったのです。わたしは、猊下の重い言葉に深く考えさせられました。 (D師)


◆すべての魂を救済する

 オウムで作った救済すごろくというものがあります。これは、大乗の修行者が菩薩となり、サムサーラの魂を救済して途上の様々な障害を乗り越えながらニルヴァーナに連れていく、その救済した魂の数を競うというゲームなのですが、鏡暉リンポチェ猊下とそのゲームをすると、ゲームに人の生き方が表われてくるように感じます。
 というのは、わたしの場合は、一直線にニルヴァーナに向かって進み、その途上で救える魂を何人か船に乗せて一気にニルヴァーナに到着するのです。ところが、鏡暉リンポチェ猊下の場合は、サムサーラに魂が残っている間はなぜか必ず「シヴァ大神の意思(ここに止まらなければニルヴァーナの方向に駒が進むが、ここに止まると再びサムサーラに戻る)」というマスに駒が止まって、サムサーラの魂がすべて救済されるまで何度もサムサーラを回られるのです。そして、結局サムサーラの魂を全員救済して、それからご自分がニルヴァーナに入られるのです。
 「まさか、そんなよくできた話が……」と思って何度か繰り返してやっても、必ず同じようにみんなをニルヴァーナに導かれるのです。
 また、サムサーラの魂を救済なさるときも、最初に「まず、縁のあったカメコを助けてあげる(最近までご自宅にカメがいた)」とおっしゃって、動物を救済されるのです。でも、そのあとは必ず「苦しい魂から」とおっしゃって、地獄から順番に救っていかれるのです。まずは縁のある魂、そして苦しみの多い魂から順に救済していくということのようです。
 これは、まさに鏡暉リンポチェ猊下の救済者としての生き方をそのまま表わしているように思われました。(皇子奉仕係B)




<自己を犠牲にして救済を>

 わたしはこの人よりも清らかだから離れましょう、というのは小乗なんだよ。清らかだから、干渉して透明にしていってあげて、高いせ界へ引き上げていこうというのが大乗なんだよ。だから、わたしにとっては邪気は一切気にならない。そこで、例えば体を悪くすることもあるよ、当然。ね、ー時的に煩悩をしょうこともあるけども、それはそれで結構です。いいかな。     (87年4月29日)


◆お仕事はカルマを受けること

 ある日、璽暉リンポチェ猊下と遊ばせていただいたときのことです。何かの話の流れで、猊下が「それは警備の仕事でしょ」とおっしゃったので、わたしが「それでは猊下のお仕事は何ですか?」とお聞きしました。すると、猊下は少し沈黙してから、
「サマナのカルマを受けること」とおっしゃいました。
 まだ言葉もはっきりされていない猊下のこのお言葉に、わたしは思わず言葉を失ってしまいました。     (G師補)


◆グルの役割を自然に果たされている

 わたしが猊下方のおそばに配属されてすぐのことです。わたしのカルマが猊下のおそばにいる者としてふさわしくなかったからだと思いますが、初めの一カ月くらいは結構きついカルマ落としが続きました。肉体的にも精神的にも厳しく、「これはカルマ落としだ」と教義的にはわかっていたものの、気持ちとしてはつらかったのは事実です。
 その日は鏡暉リンポチェ猊下を中心にわたしの肉体のカルマ落としがなされていましたが、そのときだれかが「本気でやってもいいの」というような内容のことを言ったとき、鏡暉リンポチェ猊下が、「本気でやっちや、ダメ !」と強く確信に満ちた調子でおっしゃったのです。その言葉を聞いたとき、「この方はカルマ落としという概念を本当に深く認識し理解した上でなさっているのだな」とわたしは初めて理解しました。「センダンは双葉より芳し(センダンが芽生えたときからすでによい香気を放っているように、才能のある人は子供のときから優れているという意)」といいますが、鏡暉リンポチェ猊下は四歳にしてグルとしての役割を自然に果たされているのです。(D師)


 わずか3歳、4歳にして自己の役目を心得ていらっしゃるリンポチェ猊下方。
 猊下方は今までカルマを受けられて、何度となく倒れていらっしゃいます。
 ときには死にかかったこともありました。
 それでも、救済のためには自己を顧みられない猊下方。
 そのエピソードをご紹介します。


◆カルマを受けて歯を折られた鏡暉リンポチェ猊下

 ビデオや写真で鏡暉リンポチェ猊下をお見かけした皆さんは、猊下の前歯がないのを不思議に思われているかもしれません。実は猊下は、上の前の歯を四本とも、カルマを受けて折られたのです。例えば、サマナから供養を受けたり、普段あまり接することのないサマナと遊んだときなどに突然どこかに顔をぶつけて、歯が折れてしまったのです。それでも、鏡暉リンポチェ猊下は、「また生えてくるから」と言って、前歯がなくなってしまったことを全く気にせず、カルマを背負う実践を続けていらっしゃいます。  (皇子奉仕係B)


◆カルマを背負い、引き上げてくださる

 わたしがとても卑屈になって、落ち込んでいたときに、鏡暉リンポチェ猊下に呼ばれました。こんな状態で遊べるわけがないと思い、猊下のところに行くのがとても嫌だったのですが、呼ばれたので行かなくては、と思って行き、無理をして楽しそうに遊んでいました。ところが、璽暉リンポチェ猊下も交えてしばらく遊んでいただくうちに、どんどん心が明るくなって楽になっていったのです。
 その心の変化は顔にも現われていたようで、一緒にいた師から、それまでわたしは非常に怖い顔をしていたのが、表情が全く変わったと言われました。
 あとで聞いたところによると、わたしと遊んでくださったあと、鏡暉リンポチェ猊下は熱を出され、璽暉リンポチェ猊下はとてもわがままになられたそうです。わたしのカルマを受けて、調子を崩されたのでしょう。    
   (サマナJ)



◆カルマを受けてくださる

 皆さんは、今は猊下方と直接お会いする機会がなくて、猊下方を遠い存在と思っているかもしれませんが、猊下方はいつも皆さんを救済したいと思っていらっしゃいます。
 とても元気のないサマナがいました。鏡暉リンポチェ猊下はそのサマナの状態をずっと気にかけて見ていらっしゃったのですが、ある日、そのサマナをご自分のお部屋に呼ばれました。いつもは、いろんな人を部屋に入れるこ とはないのですが、その日は、周りの者が見ても、これは意図的にしているのだな、と思うような呼び方をしてお部屋に連れていき、長い時間遊ばれていました。それはいつもの鏡暉リンポチェ猊下の楽しそうな遊びとは違って、そのサマナの状態を見ているという感じの遊び方でした。
 わたしが途中で席を立ってしばらくして戻ってくると、鏡暉リンポチェ猊下のお顔が明らかにげっそりされていたのですが、それでもまだ、一緒に遊ばれていました。きっと、そのサマナに多くのエネルギーを注がれ、同時にその人の調子の悪い部分のカルマを受けていらっしゃったのでしょう。やがて、鏡暉リンポチェ猊下はそのサマナに帰っていいとおっしゃいました。
 その翌日からしばらくの間、鏡暉リンポチェ猊下は熱を出されました。あとで、「今回の熱はどうして出たんですか」とお伺いしたら、そのサマナと遊んだからだということをおっしゃっていましたが、そこには何の頓着もないご様子でした。
 鏡暉リンポチェ猊下は常日ごろ、「カルマを受けられましたか」というようなことをお伺いしても、「いや、わたしはリンポチェ猊下だし、それはわたしの役目だから」とおっしゃっています。その慈愛と哀れみ、そしてカルマを受けて苦しまれることをものともされない強さと無頓着の心に接すると、猊下は本当に偉大な救済者なんだな、と感じます。  (皇子奉仕係B)



◆カルマを落としてくださる

 初めて猊下のご自宅にお伺いしたときのことです。そのときにはわたしのカルマが相当悪かったのでしょう、鏡暉リンポチェ猊下に思いっきり鼻を噛まれたり、蹴られたりとさんざんなカルマ落としを受けました。ところが、二度目以降にご自宅にお伺いしたときにはそのような乱暴なことをなさる様子は全くなく、ゲームなどをして遊んでいただけるようになりました。初回にカルマ落としをしていただいたためだと思っています。   
     (ヴァジラティクシュナー正悟師)



◆ナーディーの詰まりを霊視し、詰まりを抜いてくださる

 あるとき、わたしはちょうどヴィシュヌ結節のところが詰まったような状態でした。いろいろと修行をしていてもなかなか詰まりが抜けず、「弱ったなあ」と思っていたところでした。
 そこにちょうど鏡暉リンポチェ猊下がいらっしゃり、猊下は座っていたわたしを見つけるや否や、わたしの背中めがけて勢いをつけて走ってきて、思い切り膝で背中を蹴られました。それが一度ではなく、何度となくなさるのです(結構痛い)。猊下は、「はあはあ」と荒い呼吸をされていました。
 わたしはそのときは気がつかなかったのですが、あとになって、「あれ、そういえば蹴られたところは詰まっていたところだったな」と思い出し、結節の詰まりに注意してみたところ、知らぬ間に抜けていました。
 それからまた別の機会に、今度は首筋から頬のあたりにかけての右側のナーディーが詰まったような感じだったときがあるのですが、ちょうどまたそこに鏡暉リンポチェ猊下が来て、にこにこしながら、わたしの右の顔をこぶしでゴンゴンと叩かれるのです。
 ちょっと痛かったのですが、「うーむ」と耐えていました。
 しばらく後に、また詰まりのことを思い出し、注意してみると、歯も痛むような状態だったのがその痛みが消えていました。
 これらの体験は、鏡暉リンポチェ猊下が明らかに弟子のエネルギーの涜れを正確に霊視し、その詰まりを叩くことによって落とし、そのカルマをしょってくださったことを表わしているのだと思います。
 今生の修行の経験というものをほとんどお持ちでない猊下が、こういう行動をごく自然に当然のようにとれるのは、まさに前生から偉大なボーデイサットヴァの修行を続けてこられたことの証明ではないかと思います。  比類なき霊的ステージの片鱗、崇高な四無量心の片鱗をかいま見させていただいた出来事でした。(C師)



◆グルは見守ってくださっている
 先日、ある用件で猊下のご自宅に呼ばれました。その用事を済ませているときに、鏡暉リンポチェ猊下がわたしの後ろから、突然、何かをおっしゃるのです。最初は何をおっしゃっているのかよく聞き取れなかったのですが、あまりにも何度も繰り返されるので、聞き返しました。すると「知らないの?」と言って、また何度も繰り返されました。それはわたしの状態を指摘される言葉だったのですが、あまりにも突然だったし、これまでにお会いしたときには遊んでいただいただけだったこと、これほど小さい方がそのようなことをおっしゃるとは、という先入観があったことが原因で、わたしにはピンと来ませんでした。けれども、徐々に自分の問題点を指摘されているのだと気づきました。そこで、「申し訳ありませんでした」と申し上げると、今度は「修行しなきゃ駄目じゃないか」と何度もおっしゃいました。
 自分の状態は自分ではわかっていたのですが、それを正確に見抜いてはっきり指摘してくださったのは猊下だけでした。修行しなきゃ駄目だと一生懸命言ってくださってとてもありがたく感じました。
 これは、わたしが鏡暉リンポチェ猊下から初めてグルとしてのアドバイスを受けた経験だったのですが、ちょうど、そのときはとても調子が悪くて、疲れ切っており、もう限界だ、どうなっても構わないというような意識でした。呼ばれたいきさつそのものは別の用件だったのですが、普通なら呼ばれることのないタイミングでしたから、呼んでいただいたことそのものも偶然とは思えませんでした。
 今までは、この方がグルですよと言われても今一つ実感がわかず、猊下方を意識するように努力をしながらも、見守ってくださっているという感覚が薄らいできてしまっていました。けれどもこのとき、車でご自宅をあとにしてから、グルがいらっしゃるんだという大きな安堵感が自分の中にあるのを感じました。また、わたしの問題を指摘してくださり、修行するように一生懸命おっしゃってくださった姿にグルの威厳を感じました。
 猊下方はいつも弟子を見守り、必要なときには的確なアドバイスをくださるということを実体験させていただきました。
 また、璽暉リンポチェ猊下とお会いしたあとに戻って修行を始めてからは、今まで自分がおぼろげながら感じていた自分の問題点を次々にはっきりと証智できるという経験をしました。また、ヴァヤヴィヤの最中にちっばけな自分を超えた何か大きな存在を感じ、解脱・悟りを達するには自分を投げ出すことが必要だということが、単なる言葉ではなく、この延長線上にあるということを体験として感じることができました。きっと璽暉リンポチェ猊下とデータの交換が起こったのではないかと思うのですが、これは、これまで修行をしてきて一番うれしい経験でした。   
        (シャーキャシンハ師)


 鏡暉リンポチェ猊下は、この師と会ったのち、お部屋に戻ってから「わたしはこんなふうに功徳が積めてうれしい。サマナを引き上げれてうれしい」とおっしゃっていました。このように、リンポチェ猊下方はいつも弟子たちを引き上げたいと思っていらっしやるのです。
 リンポチェ猊下方は、カルマを受けて多大なダメージを受けられますが、そのことを決して嫌悪なさりません。自分自身の役割として、淡々と果たしていらっしゃいます。
 たとえ高熱を出して倒れるほどカルマを受けられても、それと引き替えにサマナが引き上がることを、この上ない喜びとなさっています。
 素晴らしいグルのもとで修行し、精進し、救済のお手伝いができる功徳を、グルとシヴァ大神に感謝し、日々、修行と精進に励みましょう。

このように、リンポチェ猊下方は日々、弟子たちを見守ってくださっています。ときには優しく、ときには厳しく、また、直接会えない弟子に対しても、アストラルやコーザルを通じて、いつも導いてくださっています。日々修行し、グルを観想しながら全力でワークをし、いつかリンポチェ猊下方の慈愛に応えられるようにしましょう。猊下方は、いつもわたしたちのことをご覧になっています。