インタビュー・得られた心の静寂



 去年の12月24日、このようなお知らせが流れました。
「グル方の認定により、カンカー・レーヴァタ師を正式に正悟師とします」
 95年8月のウルヴェーラ・カッサパ正悟師以来、2年4カ月ぶりの正悟師誕生となりました。早速正悟師となられたばかりのカンカー・レーヴァタ正悟師にお話を伺ってみました。

−−まず、マハームドラーを成就しての感想をお聞きしたいのですが。

カンカー・レーヴァタ正悟師:そうですね、わたしは修行を始めて十年ぐらいになるんですけれども、その間振り返って考えると、そんなに平坦な状態ではなかったんですね。
 クンダリニー・ヨーガの成就によって、ある程度煩悩が鎮まる状態は経験したわけなんですが、クンダリニー・ヨーガというのはまだ不安定なヨーガだと思うんです。もちろん、本当の安定というのは最終の解脱によって初めて得られるのでしょうけれども。
 師となって、その条件の中で自分もいろいろな役割を果たしていかなければならなかったのですが、クンダリニー・ヨーガのもつ不安定さゆえに、かえって成 就した後の方が苦しかったり悩んだりしたことがありました。
 例えば師となった以上はその部署の長として他のサマナの修行が進むよう四無量心の実践をしていかなければいけないんですけれども、逆にエネルギーが強くなった分かえって煩悩が増大したような状態になり、自分の煩悩に動かされ、それによってグルの意思が実践できないとか、そういったことで非常に悩みました。だからかえって一生懸命グルの意思の実践をしようとすると外れてしまう、というようなことがあって、それが非常に辛かったんですね。
 だから、そうしたときには「自分で一人で閉じこもって修行した方がいいんじゃないか」と考えてしまうんですけれども、でも、閉じこもってしまえば今度は、例えば一つの部署をまとめていくとかいうことができなくなるので、その矛盾に非常に悩んだりしたことがありました。
 今自分の状態を振り返ってみると、そういった以前の悩みとか苦しみの原因となっていた要素−−いくつかの現世的なとらわれや心の屈折がグルの偉大なマハームドラーによってなくなった分、悩んだり苦しんだりすることがなくなりました。

−−ほかにもマハームドラーの成就をされて変化したということはありましたでしょうか。

カンカー・レーヴァタ正悟師:わたしも以前からそうでしたが、やはり現世的な思考に対するとらわれが非常に強かったんです。だからその現世的な意味での喜びとか苦しみにすごくとらわれてしまうということがあったのですが、今感じるのは、そういった現世的な喜びとか楽しみ、苦しみに対して頓着しなくなってきたというのをすごく感じます。
 例えば以前でしたら、人にほめられると、非常に心が喜ぶわけです。口ではごまかしていても、すごく心の中で喜んでいるという状態で。今度は逆に人から批判されたりすると、ガックリと落ち込んでしまうというような心の状態があったわけですけれども、それが今では、例えば称賛は称賛として、「ああ、この人はこのように思ってくれているんだな」というのをそのまま受けとめることができ、また批判に対しては、あまりそれに対して心が過剰に反応しなくなっていて、逆に「『自分にやはりこういうところがあるのだろうか』とチェックしてみよう」という、そういった目で見られるようになってきているんですね。だから心の働きとしては、以前よりも非常に静かな状態にどんどんなっていってるな、というように思います。
 それからあとは、これは以前から「わたしは小乗である」というふうに言われていたわけですけれども、他を利する実践、四無量心というのは、頭ではわかっていたのですが、本当に心の中からそれを思うことができませんでした。ただ、最近になっての変化なのですが、「自分自身を捨てて他の魂のためにつくす」という、いわゆる利他の実践、これをやはりなさなければいけないという意識が自然と出てくるようになりました。これは自分にとつては非常にうれしいことで、今では、ボーディサットヴァの修行を実践していきたいな、という気持ちが非常に強くなってきているのを感じます。

−−では、成就に至るまでの経緯について簡単にお話をしていただけないでしょうか。

カンカー・レーヴァタ正悟師:わたしたちの心というのは、普段から煩悩に傾き、自我の欲求に突き動かされているわけですが、それゆえに苦しみを経験しなければなりません。なぜならば、この人間の世界には何一つ絶対のものが存在せず、すべてが相対の世界だからです。それは例えば、甘いという味覚を楽しめば、にがいものを味わったときに苦しまなければならないというようにです。したがって、わたしたちが煩悩的な喜びを実現しようとすれば、必ずその対極にある苦しみを経験しなければならないことになります。
 なぜ、最終の状態が「絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜」と、わざわざ「絶対」という言葉を当てているかということについて、わたしは以前から考えていたのですが、この「絶対」という言葉は決して「大変な」とか「大きな」という意味ではなく、「相対のものではない」という意味なのだなとあるときに気づきました。
 仏教が、あるいは真理の法則が「幸福を説かない」というのはそこにあります。つまり、真理の実践とは、わたしたちが普段口にするような、この現実社会における「幸福」「不幸」というものに重きを置くものではないということです。そうではなく、この現実という一つの固定した世界にしばりつけられた通俗的な意識、相対化した意識状態を超越したところに、最終の状態つまり真我独存の状態、心の本性があるのだというのが真理の法則なのだと思います(これを「空」というのだろうと思いますが、空についてはわたしはまだ十分に語れるだけのステージにありませんので触れないことにします)。
 ところが、わたしたちは過去世からの長い記憶修習、記憶実践によって、「これは幸福である」とか「こうなったら不幸である」といった経験と識別をすでにして形成しています。それゆえに、わたしたちはいつまでも相対化した意識状態から脱却できず、苦しみを経験しなければならないわけですが、この経験と識別を崩壊させる一つのテクニックが、真理のすべてを体現され、その弟子のカルマを完壁に見抜かれた偉大なグルのマハームドラーということなのだろうと思います。
 しかし、それはわたしたちが大いなる錯覚によって遠い過去から頑固なまでにしがみついてきた自己の煩悩的な利益というものを外からはぎ取られるかたちとなるため、わたしたちの無智に覆われた自我は大いに苦しむことになります。しかし、それが自己が過去から形成してきた誤った経験と識別のために生じた苦しみにすぎず、その苦しみには実体がないということを悟ると、心は相対的な苦楽の状態から一気に解放されることになります。
 ここで必要となるのが、帰依、そして放棄です。寂静の修行とは「現象の認識から生じる相対的感情の止滅」といわれますが、マハームドラーの成就とはその一部の体験ということになるのではないでしょうか。「一部」といったのは、マハームドラーの完成とは最終の解脱の段階だろうと思われるからです。  わたしもグルの偉大な導きにより、その一部の意識状態を経験させていただいたということなのだろうと思います。

−−現在、一番新しくマハームドラーを成就されたわけですが、その修行のポイントというか、そのへんについて少しお話ししていただけないでしょうか。

カンカー・レーヴァタ正悟師:そうですね、それは個々のケースによって非常に難しいのですが、わたしが一つだけ言いたいのは、“決してあきらめないこと”だと思います。わたしも非常に修行が下手で、なかなか修行できないタイプでした。それから非常にけがれが多い修行者だと思います。ほかの人が五年十年かかるところを、自分の場合だったら30年50年かかる、そういうタイプだろうなと思っているんです。ただ、思うのは、“あきらめずにやれば必ず結果は出るんだ”ということを皆さんに言いたいと思います。
 わたしの場合もーつの達成に本当に時間がかかっているというふうに思うんです。ですから皆さんも、なかなか自分は修行が進まないという人でも、“時間さえかければ必ず結果は出るんだ”ということを信じてほしいと思うんですね。
 例えばわたしの場合、何かマントラの修行をするときでも、以前はマントラを唱えても、全然その効果というのはわからなかったのです。それはもう、修行を始めて8年間、全然マントラというのは効果がわかりません下した。でもそれも、本当にある時期から、その一つ一つのマントラが、いかに現象化するのかというのが体験できるようになりました。
 でも、それは時間がかかっているんですね。やっぱり思うのは、繰り返し、コツコツと功徳を積み、悪業を滅し、修行を実践しているその流れの中で、少しず つ内側の要素というのが変わってきて、いつかそれは結果を出すものなんだと思うんですね。
 だから修行をやっていて「なかなか自分は変わらない」とか、「なかなか自分は結果が出ない」という、そういう人でも、自分の感じない部分では、徐々に徐々にやっぱり変わっていってるんですね。それがいつ結果として出るかというのは、その人のカルマによるわけですけれども、忘れないでほしいのは、“決してあきらめてはいけない”ということだと思うんです。いつか必ずそれは結果が出るものだと思って努力してほしいと思います。

−−それでは最後に、今後の抱負について語っていただけないでしょうか。

カンカー・レーヴァタ正悟師:今の自分があるのはすべて、グルがいらっしゃり、そして真理の法則があった、まさに そのおかげなんですね。
 もしグルがいらっしゃらず、真理の法則がなかったら、自分は今どうなっていただろうかと考えると、もうそれはまさに悲惨な現実しか想像することができないんです。
  グルのご意思というのは、この真理の法則、これを広く伝え、そしてすべての魂を済度することにあるわけです。ですから、そのグルからの大いなる慈愛を受けてきたわたしは、すべての魂が一日でも早く絶対の自由・絶対の幸福・絶対の歓喜に至れるよう、すべての魂がマハー・ニルヴァーナに入れるように、ボーディサットヴァとしての努力をしていきたいというふうに思っています。

−−はい、今日はどうもありがとうございました。

カンカー・レーヴァタ正悟師:どうもありがとうございました。