聖者への歩み
内なる可能性と至高への目覚め
★成就の軌跡とその後★
はるかなる大乗の救済者への道を目指して
−−すべての魂が真の幸福に至りますように
修行の途上には、多くの苦しみや艱難が待ち受けています。しかし、そのような中にあっても、グルを偉大なる導き手として仰ぎ、努力し続けるなら、いつの日か必ず心の本性に到達し、迷妄の世界から出離することができるのです。
オウム真理教には、幾多の試練を乗り越え、クンダリニー・ヨーガの成就を果たした聖者がたくさんいます。これは、わたしたちの前に光の道が開かれていることの証でもあります。そして、聖者は明日のあなたの姿でもあるのです。
愛欲天・アヴェッチャパサーダヴァンティー師
プロフイール
子供のころから、「人のためになる生き方をしたい」という強い願いを持ち、人生を模索する。後に、ボランティア活動に参加し、精神世界の探究をしているときに、麻原尊師と劇的な出会いをする。
94年7月、クンダリニー・ヨーガを成就。現在、横浜支部で支部活動に携わっている。包み込むような暖かさと、人をどんどん引っ張り、現象を動かすバイタリティーとで、信徒さんからの信頼も厚い。
「みんなを幸福にしてあげたい」−−そんな強い願いを子供のころから抱きつつ、精神的な向上と、真の幸福を常に模索してこられたアヴェッチャパサーダヴァンティー師。その願いは、尊師と巡り合い、ようやく実現されることとなった。
尊師と初めて出会ったとき−−その深遠な法に触れて、師の心は深い歓喜に包まれた。すべての魂が苦悩から解放されることを願い、自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとし、すべての苦しみが自己の内側に内在されるまで修行を続けようという大乗の道−−。それこそ、師の魂が長い間求め続けていたものにほかならなかったのだ。この出会いは、まさに前生からの約束であったとも言えよう。
●真実と心の清らかきを求めて!
アヴェッチャパサーダヴァンティー師は、子供のころから、学歴や地位などにあまり価値を見いだすことができなかったという。師が求めていたものは、そのような表面的なものではなく、“真実”であり、“心の清らかさ”だった。 わたしは物心ついたころから、「本当のことを知りたいの」「真実は?」というのが口癖のようでした。 本当のことが知りたいと初めて思ったのは、三、四歳のころのことです。幼少のわたしに母が、「人間は“輪廻”によって、何度も何度も生まれ変わるんだって。そして六十六回だか七十回だかしたら、仏様になって、もう生まれないんだって」という話をしてくれたのです。その話にある種の衝撃を受けたのを、今でもはっきりと覚えています。
それを聞いてわたしは思いました。「死んでまた生まれるということ、それは本当だろうな。だけど六十六回とか七十回とかいう数は本当かな?どんな人も皆同じというのはおかしい」と。「それに、仏様って何?本当のことが知りたい。でも、だれに聞けば教えてくれるんだろう」−−これがわたしの「本当のことを知りたい病」の始まりでした。 また、小学四年生のころから、よく「地球がなくなってしまう、何とかしなければ……」という思いに駆られていました。そして、そのことを思うと、食事も喉を通らない、夜も眠れないほど悩みました。きっかけとなったのは、理科の授業で、「地球はいずれ太陽に飲み込まれて消滅するか、ブラックホールに……」
ということを知り、ショックを受けたことでした。そして、何度も同じようなヴィジョンを見ました。
それは、次のようなものでした。人類が滅亡するというので、わたしは「あらゆる分野の優秀な専門家を選び、宇宙船に乗せて別の惑星に移住すればいいんじゃないか」と考えました。そして、各分野のエリートを選ぶために奔走するわけですが、一つだけ選べないものがありました−−「心の清らかな人を乗せなければならない」と思うのですが、それがだれなのかわからないのです。「もしかすると、乞食の中にも心の清らかな人がいるかもしれないし、試験をしてもわからないし、どうしたらいいんだろう」と悩むのです。そこでわたしは奔走し、地球がいよいよ駄目というときに、心の清らかな人を探し出すことができて、宇宙船に乗せるのです。宇宙船は出発し、わたしは地球に残り、「ああ、よかった」と思いながらその宇宙船を見送るのでした。
●人のためになることがしたい
中学のころから、「人のためになることがしたい」と、強く考えるようになった師−−。そのような思いは次第に強くなり、高校時代からボランティア活動に参加して、精神薄弱児のお世話をしたこともあった。そんなところにも、師の大乗的な優しさをうかがい知ることができる。そして、さらに真の幸福の探求は続いた。大学に入ってからは、実践倫理宏正会という、道徳的な教えをベースとする団体に入りました。そこは人のために役立つ生き方をすることを推奨していたので、引かれたのです。今考えると、人間界を幸福にする教えだと思います。やがてわたしは、通っていた支部の支部長に信頼されて、そこの息子さんとの結婚を勧められました。
その後、本人からも結婚を求められたのですが、「いや、結婚しても幸福にはなれない」と思って、わたしは大変悩みました。わたしは前々から、大きな選択をするとき、強く思念をすると必ず何らかの示唆があり、それに従って生きてきました。このときは、悩みながら歩いていると、頭の上の方から、「今この人と結婚しておかないと、後で後悔することになる」という声が聞こえてきました。
結局その声に従って結婚したわけですが、主人は優しく真面目でしたし、生活に困ることもなく、わたしはしたいようにさせてもらっていました。人から見たら幸せな結婚生活と言えたのかもしれません。
ところで、実践倫理宏正会は、「人のために生きることで、自分も周りの人も幸福になれる」という教えが中心でした。ところが、そのうちにわたしはそこに限界を感じるようになりました。「では本当の幸福とは何か?」と考えると、一般的な善行だけではなく、もっと違う何かがあるのではないかと思わずにはいられません。
そこで、宗教的なものに引かれるようになり、わたしは結婚後、二十代の終わりのころに、それまでの友達と一緒に、霊的な力を持った方の教えとボランティアを並行して実践するようになりました。
そこでは、お祈りや懺悔、点字を習い、本の点訳をしたり、バングラデシュに孤児院をつくり、運営するための援助金を送ったりしました。ただ、「人の役に立てるのはうれしいけれど、一時的な援助だけで人は本当に幸福になれるのだろうか」という疑問がありました。
そのうち、本格的な宗教へと向かっていきました。それは、真言密教と神道を合わせたような教えでした。そこの教祖は、ある程度の神通力を持っていて、未来を予知したりしましたし、わたしも光を見たりすることがありました。しかし、あることをきっかけに、「確かにこの教祖には力がある。しかし本物なんだろうか?一生を捧げる人ではないのではないか」と考えるようになりました。また、その当時から、わたしは毎日とても鮮明な、変わった夢を見るようになり、いろいろな示唆を受けることが多くありました。
●夢に導かれて……尊師との劇的な出会い
師は夢の中で、「生き方を変えなければならない」という示唆を何度も受けたという。そしてその当時、オウム真理教も麻原尊師も全く知らなかったにもかかわらず、尊師の鮮明な夢を見るようになったのだ。やがてその夢に導かれるかのように、ついにグルとの劇的な出会いを果たすことになる。
それは、このような夢でした。わたしは沐浴した後、小高い丘の上で、ひげを生やした髪の長い男性と一緒に、白い服を着た沢山の人たちに宗教的な儀式のようなことをしていました。その後、その人とわたしは湖畔に向かいました。その湖は底まで見えるほど透明で、底には、身体が白銀と黄金に輝くある生き物が整然と並んでいるのが、はっきりと見えました。そして、その男性はわたしに一言、「遅かったじゃないか」とおっしゃるのです。
目が覚めると、とても崇高な思いが呼び起こされて、「わたしを待っていてくださる人がいるんだ。探さなければいけない」と思ったのです。わたしは本当の師との出会いを心の中で待望するようになりました。
そして、運命の日は約一カ月後に訪れました。八九年十一月のことですが、オウムで出している「極智新聞」というチラシが、わたしの家にポスティングされていたのです。その新聞は、作りは質素でしたが、内容はとても高度でした。わたしは隅から隅まで読み、「これはすごい」と思って、早速道場へ行きました。
道場に入って、祭壇の尊師のお写真を見た瞬間に、「ああ、あの夢の方だ」と思い、びっくりしてしまいました。そして、尊師のご著書をできる限り買って帰り、一気に読みました。
「これこそわたしがずっと求めていたものだ」と感激して、翌日すぐに入信したのです。おまけに、子供を連れて、道場に行き入信する場面も、以前に夢で見ていたとおりでした。
入信して間もなく、富士で秘儀瞑想の伝授があり、わたしはそこで初めて尊師とお会いすることができました。そのとき、尊師は壇上の椅子に座られてから、身体を斜めに向けてわたしの方をじっとご覧になり、なかなか説法を始められませんでした。時間にしたら数分かと思いますが、わたしには随分長く感じられました。そして尊師は、うれしそうにニコニコと微笑まれたのです。わたしはとてもうれしくなって、「ああ、やっとお会いできた」という強い歓喜がわき上がってきました。
それから別の機会には、シークレット・ヨーガ(個人面談)を受けさせていただくことができました。そこでわたしは、入信前に見た尊師の夢についてお伺いしてみました。すると、尊師は「それは今生あなたが一生懸命頑張れば……できるということです」とおっしゃられて、わたしの夢を一つ一つ解明してくださいました。
後に、チベットの偉大な成就者である、ナーローバやマルパやミラレーパの生涯を読む機会に恵まれました。そこでは、グルが夢に現われて弟子を導くという記述がたくさん出てきます。それを知って、自分もそういうことだったのかと思うと、改めてグルの偉大さを認識させられました。
●尊師のご慈愛により出家へ
師は、思い立ったらまっしぐらに突き進むタイプで、尊師との出会いから出家までも、大して時間は必要としなかった。しかし、子供を抱え、親族が大反対する中で出家を果たすことができたのは、まさに尊師のご慈愛によるもの以外の何ものでもなかったのである。
◆修行への強い確信
このイニシエーションの後は、引き続いて行なわれた十日間の集中修行にも参加させていただきました。その修行を終えて自宅に帰ると、浄化のために乳腺炎になり、胸が張ってしまいました。そこで道場に連絡すると、「サンカプラクサラーナ・クリヤとネーティーを、三カ月毎日やりなさい」というアドバイスをいただきました。
わたしは、このサンカプラクサラーナ・クリヤがとても苦しくて、毎日つらい思いをしていたのですが、言われたことができないようでは出家できないと思い、頑張って続けました。すると、乳腺炎があっさりと治ったではありませんか。
しかもそれだけではなく、チァクラの霊視、ダルドリー・シッディ、五大エレメントの色を順番どおりに見る、尾てい骨に逆三角形の炎が見えるなどの、さまざまな霊的体験が起こったのです。それによって、オウムの修行に強い確信を持ちました。
◆出家して救済活動のお手伝いを−−
そのうちわたしは、出家して尊師のもとで救済活動のお手伝いをさせていただきたいという思いが、日に日に強くなっていきました。そして、主人にもそれを話しました。わたしの主人も、そのころオウム真理教に入会し、 「ヨーガは身体にいい」ということは言ってくれていました。しかし、現世への執着が強い主人は、出家となると大反対でした。
また、父にしても同じでした。嫁いだ娘が出家するなどと言って一家を崩壊させようとしているのですから、普通に考えたらとんでもないことです。わたしの父は、嫁ぎ先に申し訳ないという強い思いから、何とかわたしの出家をやめさせようとしたのです。
「一体何が不満で出家なんかするんだ」
と父は言いました。それに対して、
「わたしは、オウムで修行して救済のお手伝いをすをために生まれてきたのだと思う。なのに、わたしの一番やりたいことができないのなら、生きていても死んでいるのと同じなんだよ」
と言い返して父を悩ませ、出家の決意を変えることはありませんでした。
しかし、さらに大きな問題は、子供たちのことです。わたしには四人の子供がいて、一番下の子はまだ乳飲み子でした。上の三人は、わたしに付いて一緒に行きたいとみんな言いました。しかし、そうすると主人は、天涯孤独になってしまうわけです。主人は、わたしが子供を連れて出家するのであれば、裁判を起こしてでも、どんなことをしてでも、子供を取り返すと言いました。わたしは、今すぐにでも出家したい思いでいっぱいでしたが、子供のことを考えると、取りあえずはあきらめて、まずは離婚し、ほとぼりが冷めてから出家するしかないなと思っていました。
こうなると、一見幸福そうだった結婚生活は、多くの人にさまざまな苦しみをもたらすようになりました。確かにわたしの場合、実際に苦しみを経験しなければ真理に到達できなかったのかもしれません。しかし、やはり結婚したことは失敗だったと思います。大変な遠回りを余儀なくされたからです。ですから、来世こそは同じ失敗をしないように、迷うことなく真理の流れに入れるような清らかなカルマを作っておきたいものだと、今から発願しています。
こんな状態でしたから、まさか出家できるとは思いもしませんでした。ところが、尊師にお伺いする機会があって、出家についてお聞きしたところ、
「裁判は弁護士に任せて今すぐ出家し、修行に専念しなさい」
というお答えをいただいたのです。わたしは、こんな悪条件なのにもかかわらず出家させていただけるとい
うことで、大変驚きました。そして、ありがたいのとうれしいのとで、とにかく感激しました。入信後まだ半年ぐらいだったのですが、尊師のご慈愛により導かれ、出家させていただくことができたのです。
●子供を奪われた裁判判決
出家して間もなく、師は、子供の親権をめぐって夫と裁判で争うことになった。しかし、この裁判では理由も示されないままに、
「子供は父親の方に返します」
という判決だけが言い渡された。この判決後、裁判所で子供たちは「嫌だ」と言って動こうともせず、泣きながら最後まで抵抗していたのだが、説得されて父親に引き取られていったのだった。
裁判から帰ってきた夜、オウムだということで理由もなく、子供たちを父親の方に戻されたということを考えると、
「子供たちには徳がなかったんだな」
と、深い哀れみを感じ、涙が出てきました。
また、今の国家体制は三権分立もなくなってしまって、真理がある大きな力によって押しつぶされかかっているということを知りました。わたしは、そのことに対する憤りと無智なる衆生に対する哀れみに涙しました。そして、早く成就して人々に真理を伝えたいと、強く思ったのです。
ですから、その涙は、子供たちへの情からのものではありませんでしたし、その後も子供に対してあまり情を感じることはありませんでした。
そのときのわたしには何の力もないと思いましたから、心の中でグルとシヴァ大神に子供を供養させていただいたのです。それによって、必要以上に子供に執着しなかったのかもしれません。供養させていただいたものに手出しはできないので、たまたま用事で子供の学校や家の前を通っても、会おうとも思いませんでした。
とはいえ、早く真理を実践してほしいという思いは、今も変わりありません。三年ほど前に一度だけ会ったのですが、現世というのは恐ろしいもので、昔の純粋さはすっかり失われていました。わたしには、いつか必ず彼らを引き上げなければいけない使命があると思っています。そのためにも、まず自分のステージをもっと上げなくてはと思っている次第です。
●目の当たりにした尊師の神通力
出家生活−−それは、グルのもとで修行し、グルに奉仕することで、多大な功徳を積ませていただけるという、大変貴重なものである。そしてその恩恵としては、在家の場合とは比較にならないほど、グルとのパイプが太くなるということが第一に挙げられよう。
わたしが支部活動をしているときのことです。
ワーク上困っていることがあったり、懺悔させていただきたいことがあったりすると、尊師ご自身から電話がかかってくるということはしょっちゅうでした。それだけではなく、本当に困っているときには、タイミングよく説法会があって、そこで具体的に回答をいただけるとか、説法会のときに、わたしが悩みをお伝えしたいと思っていると、入場されるとき尊師がわたしの前で立ち止まってくださってじーっと霊視されたかと思うと、何も話していないのに、こと細かく解決策を指示してくださるということもありました。
“グルは弟子が千人いれば千の目を持って、一人一人の状態をすべて把握している”といわれるのですが、本当にそうなのです。しかも、わたしはその当時まだ成就していたわけでもなく、千人ほどいるサマナの中の一人でした。ですから、尊師の神通力のすごさに感嘆するとともに、一人一人の弟子を見て、適切なアドバイスをしてくださる尊師のご慈愛には、本当に感謝の思いでいっぱいでした。
●師の代理として
成就前に、師の代わりのような仕事をしなければならなかったことがあります。もしかしたら、これが成就のための準備だったのかもしれません。
わたしは、そのころ世田谷支部道場に配属されていたのですが、突然担当の師が二人ともご修行に入ることになったのです。尊師から「支部は高橋さんに任せればいいよ」というお話があり、その留守の間は、わたしが中心となって支部をきりもりしていかなければなりませんでした。
サマナや信徒のフォローなど、普通だったら師が行なうワークを、一サマナであるわたしが数カ月間任されたのです。
そして、一生懸命やってようやく師の方が帰ってこられたとき、大きなカルマ落としに遭いました。尊師からご指示があってやったことなのに、師の方から
「なんで、あなたそんなことをしたの?」
と言って怒られてしまったのです。
このとき、わたしのプライドはひどく傷付き、
「もう二度と支部活動はやらない」
などと言って、頭を丸めたほどでした。
師の代理、そしてカルマ落とし、その後に成就が待っていたのです。
●クンダリニー・ヨーガの成就へ
そのころから、師は尊師より「もうとっくに成就していておかしくないのに……」というお言葉をいただいていた。そして、九四年に特別なイニシエーションを授かり、瞑想によって多くの体験をしたのである。
瞑想中に、まず地元素・水元素の崩壊から始まりました。そして火元素、風元素と崩壊し、呼吸が止まりました。その後、星がいっぱい散りばめられた宇宙の中をぐるぐる回り、まるで巨大な万華鏡の中にいるような終わりのない苦しみを味わうという体験をしました。おそらく何度も何度も輪廻を繰り返して苦しみを味わった、過去の記憶を象徴的に見たのだと思います。
また、以前、三日間の立位礼拝の修行でも体験したことがあるのですが、白い雲の層を越えて、白い幾何学模様の世界へ行きました。その世界は非常に懐かしく、わたしはここの世界と縁が深いんだなと思いました。すごく気持ちが良く、とても楽なのです。
その後は、綺麗も汚いもない、時間というものがない、善も悪もないというようなことが瞬間的にわかり納得できる状態になりました。このときには、
「こんなに早くわかってしまっていいのだろうか。これを悟りというのかな」
と思いました。
また、強烈な至福と歓喜に溶けてしまいそうな世界にも入りました。
しかし、わたしは瞬間的に「ここにいてはいけないんだ」と思って、帰ってきました。後で、どうしてあんなに瞬間的に離れたんだろうと考えると、自分の楽な状態に安住せず、多くの苦しむ魂を救わなければならないんだ、という大乗の発願をしてきたからかもしれません。
そして、まぶしい光に包まれた尊師が頭上に鮮明に現われました。
「今のわたしのレベルでできる救済って何ですか?」と質問すると、
「一人でも多くの人に尊師との縁を作ることだ」という答えが返ってきました。わたしは心からそうだと思いました。そして、尊師に出会えて本当によかったという喜びと、感謝の思いが強くわき上がり、強い歓喜に包まれ
ていました。
この瞑想で、わたしはサマディに入ることができました。呼吸が停止し、心臓の動きもほとんど微弱になっていました。
「呼吸しないってなんて楽なんだろう」と思いました。経典には「呼吸は煩悩である」とありますが、まさにそのとおりだと実感できました。
瞑想が終わってからも、歓喜状態は治まらず、身体の周りに強いエネルギーのバリアーができたようで、風船に入っているかのようでした。このとき、大乗の道を歩くには、修行によってこれくらい強いエネルギーをいつも培って、周りの悪影響を受けないようにしなければならないのだと感じました。そして、わたしは成就を与えていただくことができたのです。
●逮捕・勾留生活も救済の場に変容して−−
九五年、師は、いわれなき罪で二十二日間の留置所生活を体験することになった。しかし、「このときほど修行が一気に進んだことはなかったんですよ」と、師は勾留生活について話してくださった。
突然の不当逮捕 その当時、上九でイニシエーションがあり、わたしはある入信したばかりの信徒さんを青山から上九へ連れていくことになりました。ところが、その信徒さんが階段で怪我をしてしまったんです。そのときその人は、自分が悪かったと言っていました。ところが、一連の事件が起こると、その信徒さんの知っているサマナがわたしのほかにいなかったために、「拉致監禁致傷」ということで、わたしが訴えられることになってしまいました。そして、逮捕状を持った警官がわたしのもとに来たのです。
その当時、多くのサマナが何もしていないのに不当に逮捕されました。ですから、わたしもこのまま有罪にされてしまうのではないかと少しの緊張はありましたが、もちろん無実でしたから、「これでカルマを落とせる」という思いで、心の中では喜びすらわいてきました。
しかし、それぞれの空間には独特のエネルギーがあるものです。これまで多くの犯罪者が逮捕されて、苦しんだり、悲しんだり、嘆いたりしたであろう部屋ですから、さすがにずっしりと重いエネルギーが感じられます。蓮華座を組んで座っていると、初夏だというのに身体がどんどん冷えていって、頭痛はするし、「すごいエネルギーの所だなあ」と思いました。でも、「今から全力で修行して、この空間を早く上昇の空間にしよう」と思い、一生懸命修行に励むことにしました。
◆取る調べ中に刑事たちに説法
取り調べは、“オウム”だということで、選り抜きの刑事が三人がかりで、毎日のように厳しくやってくれました。事件の内容については何もやっていないので、それを言えば早く済んだのですが、わたしは黙秘していました。
わたしが黙秘しているので、刑事たちは何とか聞き出そうと、あの手この手を使ってきました。それがおもしろいことに、各チァクラと対応しており、例えばムーラダーラ・チァクラの嫌悪、スヴァディスターナ・チァクラの性欲や疑念、マニプーラ・チァクラの食欲、アナハタ・チァクラの情と、そのような煩悩をくすぐって、巧みに攻めてくるわけです。
例えば、ひたすら怒鳴りまくり、まるでヤクザも顔負けかと思えるぐらいの態度を取ったり、取り調べ中にいろいろな食べ物や飲み物を出してきたりすることもありました。しかし、わたしは水一滴にさえ手を付けませんでした。また、情を使って攻めてくることもありました。
担当の刑事がいろいろ手を尽くしても、わたしから何も聞き出せないので、署でナンバーツーという偉い人が来て、一日取り調べをしたこともありました。
これらの取り調べでは、智慧を磨き、心を動かさない修行ができました。また、思索の修行にもなりました。
「今日は刑事がこう言ったから、上司から言われて、明日はこんな手を使ってくるだろうな」などと予想していると、まさにそのとおりになりました。
しかし、毎日朝から晩まで顔を合わせるのですから、その刑事たちはよほどの縁があるのでしょう。わたしは真理を説いてあげようと思い、特に仏教の戒律とカルマの法則など、基本的なことから話しました。彼らは、真剣に目を輝かせて聞き入っていました。今までは極悪犯ばかり扱ってきたので、「こんな取り調べは初めてだ」とも言っていました。
また、痔の症状というのは地獄のカルマなのですが、それが出ているような嫌悪の強い刑事でさえも、教義の素晴らしさには、心から敬服したようでした。
そのころわたしは、食事は二日に一度、つまり他の人が六回食べる間に一回食べるようにしていました。わたしは断食が好きで時々するのですが、断食をすると意識がものすごく鮮明になります。そして、終わりの八日間は断食していたので、意識はどんどん冴えてきて、神通力も付いてきました。刑事が、「そんなこと絶対無理だ」というようなことも、思念で思いどおりにしてしまうので、目を丸くしていました。
それから、相手の考えていることが手に取るようにはっきりわかるようになりました。そこで、刑事の私的なことをほとんど言い当てました。そして、「修行すればこんなことは当たり前。あなたたちも修行して、神通力で犯人を見つけたりしたらいいんじゃないですか」などと言ったりもしました。そのうち「○○警察に署員を集めておくので、ぜひ説法に来てください」と言われたりすることもありました。
ですから、わたし程度の者でも「修行者はすごい!」という話が出て、それが担当刑事を通して、遠くの横浜や大阪の刑事にまで伝わっていました。修行はやっばり素晴らしいですね。
獄中も救済の場と考えて
わたしにとっては、獄中も救済の場でした。
しかし、わたしが独房修行を喜んでいるのを知った刑事は、わたしを困らせるためか、同室にフィリピン人のシャブ中毒の人を入れることにしたのです。その人は薬が切れた状態で、ものすごく嫌悪が強く、昼間も寝てばかりで、とても疲れているようでした。室内の畳は三畳で、そこに二人で寝るわけですから、すごく接近していました。あるとき、「この人はどうしたら幸せになるんだろう」と思いながら、その人の背中に意識を集中していました。
看守の見回りが終わったら、また起きて修行するはずだったのが、その日はなぜかそのまま意識を失ってしまいました。そして朝を迎えると、頭が痛く、身体が鉛のように重くて、なかなか起きられないのです。看守も「高橋さん、今日はどうしたのですか。顔色が悪いですよ」と心配していました。
そして、そのフィリピン人はというと、いつもはなかなか起きないのに、早くから起きて、鼻歌を歌いながら、えらく明るくご機嫌で歩き回っているのです。
「あっ、そうか、夕べこの人に集中したまま寝てしまったので、カルマ交換したのだな」ということがわかりました。それからだんだん彼女と真理の話ができるようになり、わたしが出るときには、「もう二度とシャブはやらない」と言っていました。
そして、釈放される少し前のことです。たくさんのサマナがワークをしていて、わたしも手伝うという夢を見ました。
さらに釈放される少し前、二日続けてリンポチェ猊下の夢を見、エンパワーメントを受けました。尊師からエンパワーメントを受ける夢も見ました。
それまでのわたしは、ずーっとこのまま留置され続けて、独房修行をしたいと強く思っていました。しかし、これらの夢によって、釈放され、また現世で救済活動をするようになるんだな、とわかりました。そして夢のとおり、わたしは釈放され、支部に戻ったのです。
●全力の救済活動
師は、優しさと厳しさを持って、全力で救済活動をされている。そんな師について、周りのサマナはこのように語っている。
「とにかく力強く、肯定的で、バリバリ頑張る方です。率先して功徳を積もうとする姿勢は素晴らしく、成就される前から、尊師も褒めていらっしゃいました。
また、以前は少々きつく見えるところもあったのですが、成就後はとても優しくなられました。特に苦しんでいる信徒さんやサマナには、とことん面倒を見てあげるんですね。例えば、あるサマナが調子を崩したときなど、何としても引き上げようという気迫で、ボロボロになりがらも一晩中法則を説かれ、何カ月も一生懸命フォローされていたことがあります」
(バッダヴァーチャーナンダー師)
「信徒さんを引き上げるために、ここぞというときには強く押されます。たとえ嫌悪されたとしても、『真理の実践をさせて、救済しなければならない』という心の強さを持って対応していらっしゃるんです。わたしだったら自己保全のために、言いたくても躊躇して言えないようなことでも、きっぱりとおっしゃっているのです。そんなとき、『今、功徳を積ませないと引き上がらないから−−』という、師の相手を思う心が強く伝わってくるんですね。実際、それによって修行に心が向かうようになった、という信徒さんも多いのです。
その一方で、病気の方などには、なかなか結果が出なくてもあきらめず、とても優しく、辛抱強く指導されています。
細かいことにも気付かれ、信徒さんも、『気軽に話せるお母さんのようだ』とよく言われるのですが、確かに母親のような優しさと、父親のような厳しさの両面を兼ね備えていらっしゃるんですね」
(アジター師補)
自己を犠牲にしてでも他を引き上げたい−−ステージが上がれば上がるほど、四無量心は広大になっていくのである。
また、アヴェッチャパサーダヴァンティー師は、教団を取り巻く最近の厳しい状況について、次のように語られている。
最近、またオウム真理教が叩かれ始めました。世間は、教団に対していろいろな規制をしようとしています。しかし、真理とは絶対的なものです。煩悩こそが苦しみの原因であり、煩悩を滅することによって、わたしたちは真の自由、真の幸福、そして真の歓喜を得ることができるのです。それは絶対に変わることがない真理なのです。
また、今も残っている信徒さんはとても真面目で、真剣に修行に取り組み、一人一人が現世に流されず、内側に目を向けて自分を成長させる努力をしていることがはっきりとわかります。
このような状況にありながらも、多くの信徒さんが修行を続けているということは、うれしい限りです。それは、オウム真理教の修行がいかに素晴らしいかということの一つの証明であると、わたしは考えます。
欲望を満たすことに奔走し、心の殺伐としたこの現代において、真理の実践ができる場は、オウム真理教にしかありません。それを考えると、オウム真理教はやっばり真の救済の団体なのだと思います。ですから、信徒の皆さんには、これからも堂々と確信を持って、修行を進めていただきたいと思います。
●予言された真理の世界に向けて
九九年もすでに半分が終わろうとしている。世界情勢の大きな変動を見ても、今までのような支部活動をいつまでも続けられるという保証はない。
もう、本当に時間がない−−師の心には、「ーつでも多くの魂を真理に結び付け、救済しなければならない」という強い思いが込み上げてくる。それは、少しでもグル方にご恩返しがしたいという、心からの願いでもある。
わたしは子供のころ、人のために役に立ちたいと思い始めて以来、この願いをずっと持ち続けてきました。それは、わたしが前生、大乗の救済者になりたいという発願をした記憶によるものではないかと思います。この願いは、尊師と巡り合って、やっとかなえられる道が示されました。もし、尊師と巡り合うことがなければ、今も一般的な善行を行なうことぐらいしかできなかったのかもしれません。
しかし、グル方の発願は、それとは比較にならないほど広大無辺です。それは、すべての魂を苦悩から解放し、絶対的な自由・幸福・歓喜の状態へ導きたい、そのためにご自身の身体・言葉・心、そのすべてを供養しようという、偉大な、そして崇高な発願です。この大いなる慈愛によって、深遠な真理の法を説き、わたしたちのけがれたカルマを背負ってくださるグル方には、いくら感謝の言葉を述べても足りません。これからも、微力ながらもグルの救済活動のお手伝いをさせていただき、少しでもご恩返しができるように、奮闘努力していきたいと思います。
そして、つい最近の世界の出来事を見ても、日本でのガイドライン関連法案の成立、失業率の増大、北朝鮮の脅威・危機、ユーゴ戦争と、いよいよ予言の成就に向けて、世界は大きく動いています。
縁のある人たちが、そしてすべての魂が、苦しみから解放されるような新しい真理の世界を到来させるために、グル方を意識し、煩悩を滅し、功徳を積み、救済のために共に奮闘努力していこうではありませんか。
アヴェッチャパサーダヴァンティー師−−、このホーリーネームは、「絶対の浄信を持つ女」という意味を持つ。
その名前のごとく、何事にも動じることなく、正々堂々と、真理は真理と言い切り、金剛の強い心と、限りない優しさを持って救済を押し進めている。
果てしなく続き、終わりのない修行の道−この道を、もっと奥へ、もっと先へ進もう。より広大な四無量心を培おう。そして、早く真の大乗の救済者となって、すべての魂を救済しよう−−。
その崇高な発願を胸に抱き、今、師の救済への熱意は、さらに高まっているのである。
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